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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2002年10月16日掲載>

子どもたちにとっては「今」が大切
〜小学校が平和と教育を提供する場に〜
<スーダン>

 ルンベック郡のデン・ニアル小学校は、新しいコミュニティ・センターの一角を成す学校ですが、普通の教育だけでなく、職業訓練も提供しています。いいえ、それ以上に大切なのは、違った民族でも平和の内に共存して生きていけることを教えてくれる、平和教育の場でもあるということでしょう。今でこそ、コミュニティに溶け込んだ学校になっていますが、昔は少し違っていました。

 デン・ニアル小学校は、もともとNGOセーブ・ザ・チルドレン・スウェーデンの支援を受けてSPLM(スーダン人民解放軍)が建てた学校です。元子ども兵士の社会復帰を促進する小学校として建てられたものですが、今ではユニセフの支援を受けて運営されています。スーダン南部、上ナイル州出身のヌエル族の子どもたちが、部隊解除されてここに連れて来られましたが、学校が、ディンカ族のコミュニティに建てられたために、近所の人々の憎悪の対象になってしまいました。学校でもディンカ族とヌエル族の対立が生まれていました。これは元子ども兵士たちが心理社会的なトラウマを引きずっていたことと、旧来からの民族的な緊張が重なったためです。

 しかし、学校の敷地内に、水くみ場、保健室、図書室、モデル農場、粉引き所を建てることで、ユニセフは、学校をコミュニティ全体の「資源の集積所」とすることに成功しました。コミュニティ内に粉引き所ができたことで、学校は収入を得ることができるようになりました。女性は労働時間を短縮することが可能になり、遠い粉引き所まで行く手間と時間も短縮されました。今では、地元の子どもたちまでもが、元子ども兵士が通っているこの学校に通うようになりました。両親の側も、娘たちでもこの学校に通わせて大丈夫だと考えるようになったのです。

 ほかの機関もデン・ニアル小学校を技術訓練の場所、生産者の一つとしてとらえるようになりました。世界食糧計画は、新しい保健室と水くみ場を建設する際、建設の労働対価として、食糧を配給しました。ティア基金は、モデル農場に種と個人用耕作地を提供して、子どもたちが農業関連の技術を身につけられるようにし、かつ、自分用の食糧も作ることができるようにしたのです。

 デン・ニアル小学校に通い始めて2年になるダニエル・ルース(16歳)にとって、農場はまたとない場所です。ダニエルは、スーダン北部のバール・エル・ガザールで子ども兵士でした。一家がアラブの民兵に襲われたとき、彼はまだ7歳でした。逃げること3時間。逃げ込んだ先はSPLA(スーダン人民解放軍)の軍舎でした。そこで3年間、皿洗い、水くみをし、その後、トレーニング・センターに送られて兵士になったのです。彼が前線で戦ったのは5年間。「怖くなかったか」と聞かれると、「国のことが心配だったら、自分のことなんて二の次になるさ」と彼は言います。

 家族のことは覚えているし、家族のもとにも帰りたいとも思いますが、一家がどこにいるのかは分かりません。攻撃のときに村が壊滅状態になってしまったので、両親、兄弟姉妹5人がどうなったのかは分からないのです。ダニエルは勉強が大好きで、できれば、このまま勉強を続けて大学を出て、将来は立派な農民になろうと考えています。

 一方、ダニエルの友達で17歳のモーゼス・マヨンは、デン・ニアル小学校を卒業し、ルンベック中学校に進学しています。授業料免除のまま、学校を続けられることに幸せを感じています。教育を受けたかった彼は、14歳のとき、教育費を払うことができなかった両親とぶつかり、家を出て軍隊に逃げ込んでしまったのです。兵士だった3年間、彼は激しい闘いを目撃し、多くの友達を失いました。2001年に部隊解除され、デン・ニアル小学校に入れられたときは本当に幸運だと思ったのでした。彼はいまだに両親のことは良く思っておらず、話題にすることも嫌がります。ここ以外の生活は考えられないと言います。勉強も続けられるし、友達や先生たちとサッカーを楽しむことができるからです。

 モーゼスは歴史が大好きで、将来はアフリカの歴史を教える先生になりたいと考えています。頭の回転が速く、好奇心旺盛な彼は、自国以外のニュースが気になってたまりません。新聞もないので、NGOが出している新聞や雑誌など、支援スタッフが置いていったものをむさぼるように読んでいます。ニューヨークの世界貿易センター・ビルが攻撃されたことも知っていますが、もっと詳しいことが知りたくてたまりません。世界でどんなことが起きているのか、そのニュースが手に入らないのが残念でたまらないモーゼスです。

2002年10月1日、ナイロビ発(UNICEF)
ニリマ・チョーラ(コンサルタント)

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