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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

ユニセフ・スタッフ発 タイからの手紙
<タイ>

パンガ県の避難シェルターで支援物資の配布に殺到する被災者

2004年12月26日、喜びに満ちたクリスマスから数時間後(現地時間)、タイ南部の陽光あふれる風光明媚な景色が一転し、たった20分の間に大きな墓場と化しました。近隣地域を襲った大きな津波で何千もの尊い命がうばわれたのです。その破壊力は容しゃがありませんでした。

以来3カ月、ユニセフの支援チームはバンコクと南部(主に、プーケット島があるパンガ州)を往復しました。クラビとラノンには臨時の事務所を設けてあります。成功にわき立ったり、うまく行かずに大きく落胆したりの繰り返しです。これほどの悲しみを感じたことはありませんでした。私たちが見た現実は今までにないむごさのもの。しかし、その中でも生きのびた人たちは必死に立ち上がろうとしていました。

一見すると、人々はこの悲惨な現実にも関わらず、上手にこれを受け入れているように思えました。愛しい人たちを亡くしたにも関わらず、また、財産や生活のかてを失ったにも関わらず、多くの人たちがほほ笑んだり笑えるようになったのです。亡くなった家族や友人の遺体を探し出せない人たちもいます。笑顔や笑いが、こうした悲しみを紛らわす方法のひとつであることもまた事実です。

津波から生きのびたお母さんと赤ちゃん

世の中にはこんなに恐ろしいことがあるのだということを知り、未だにショック状態から立ち直れない子どもたちもたくさんいます。水がこんなに恐ろしいものだと、小さい子どもたちに分かるはずがありません。

「波が襲って来ておぼれました。死んだと思いました」と語ったのはラノン県の病院にいた8歳の男の子。津波で親をなくした子です。「おかあさんがおぼれ死ぬのを見ました」と語ったのは14歳の少年です。津波が起きて4日後、パンガ県のタクア・パ地区の管理事務所にある緊急避難所でのことです。

「津波で両親ともになくしました。寂しくてたまりません。帰ってきてほしいです」バンナムケム村に住んでいた14歳の女の子の話です。この村は津波で一番の被害を受けた村です。津波被害から2週間後に、ユニセフでは心理社会療法の専門家のチームを、バンバン・ムアン学校に派遣し、子どもたちの心のケアにあたりました。そのときに聞いた話です。

津波被害を生きのびた人たちは、身体に負った傷よりも心の傷のほうが大きいのです。不信感、絶望感、無力感…こうした感情がいつまでも引いてはわき起こってきます。中にはイライラしたり、暴力的になる人たちも出てきます。漁師の中には二度と漁には出たくない、という人もいます。同じ被害にあうのが怖くて、二度と自分の家には帰りたくないという人たちもいるのです。子どもたちの多くは特にそうで、被害を受けたふるさとには帰りたくないと言います。

バンナムケム村では、このような大きな漁船が津波によって数キロ内陸まで押し流された

現場にいる私たちでさえも、情緒面で不安定になりました。タイは今までにこれほど大きな被害をこうむったことがない国です。それだけに、このような被害を目の当たりにし(特に最初の8週間は)、私たち自身情緒不安定になりました。プレッシャーに押しつぶされそうになったときには、緊張をどうといたら良いのかも分からず、重なるニーズの大きさにどう対処したら良いのかが分からないほどでした。私たちが精神状態をどうにか正常に保てたのは、同僚たちがそばにいて、お互いに支え合っていたからにほかなりません。また、タイ以上に被害をこうむっている国々の人道支援スタッフが、時間をおしまず、精一杯がんばっている姿に、私たちもエネルギーをもらい、支援を必要としている人たちのためにがんばっていこうという気になりました。

津波被害の発生から3カ月。支援も緊急支援から復興支援の段階へと移り変わりました。こわれた建物の跡やゴミの山も取り除かれました。臨時のシェルター(避難所)も作られました。中にはしっかりした建物が建てられた所もあり、人が移り住み始めました。生活は徐々に正常さを取り戻しつつあります。メディアが津波被害を取り上げることも少なくなってきました。しかし、津波の被害を直接に受けた人たちにとって、愛しい人たちを失った人たちにとって、家や財産をなくした人たちにとっては、あの悪夢は鮮明に残っているのです。そう、まるで昨日起こったことのように。

避難所の近くで遊び友だちをさがす男の子。津波で被災した人たちの3人に1人が子どもだった

生き長らえながらも、母親や父親、あるいは保護者を亡くした子どもたちが一番心の痛手を受けています。心優しい先生や友だちがいる学校では気丈に振るまっていますが、空っぽになった家に戻ると、悲しみのどん底に突き落とされます。ユニセフが、津波被害から2カ月後に心理社会療法の専門家を送り込んだとき、このことが明らかに表れました。

悲しいあの朝の出来事を語るとき、子どもたちは涙を流しました。その心の傷跡は、私たちおとなが想像するよりずっとずっと深いのです。きちんと治療しないと、子どもの成長・発達自体に悪い影響を与える可能性があります。健康に育っていけるように、子どもたちを保護し、心の内面を表現する機会を子どもたちに提供するのは、私たちの義務なのです。生き長らえることができた子どもたちの情緒面、心理療法面でのたて直しも含めて、すべての開発支援パートナーを巻き込みながら、互いに協力し合い、破壊されたものを建て直して行かなければなりません。

背景
ユニセフのタイ事務所では、津波被害が起きてから、ただちに対応を行いました。スタッフ・チームを現地に送り込み、子どもたちの状況を調査・評価し、被災家族や子どもたちを支援するための計画に必要な重要情報を収集しました。ユニセフは、タイ政府と協働して復興支援を行い、ただ単に12月26日以前の状況に戻すというのではなく、よりよい状況を子どもたちにもたらす努力を続けています。

2005年3月28日
ユニセフ・タイ事務所

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