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財団法人日本ユニセフ協会




中国大地震 第18報
アグネス大使 ユニセフ支援活動の最前線を視察
 

【2008年6月30日 シーファン(shifang)発】

写真:地震で廃墟になった都江堰の商店街。
© 日本ユニセフ協会
写真:地震で廃墟になった都江堰の商店街。
© 日本ユニセフ協会

中国大地震被災地視察5日目となった30日(月)。それまでの好天と打って変わり、雨季のはじまりを知らせる断続的な雨の中、アグネス大使は、ユニセフの教育支援物資とともに、四川省の省都成都を朝7時30分に出発。午前10時30分、シーファン(shifang)市郊外の高橋村に設置された仮設小学校を訪問しました。

震源地から直線距離で約80キロのこの村は、ほぼ壊滅状態。地震発生40日以上経っているにも関わらず、他の震災地域ではあまり見られなかった軍による瓦礫の撤去作業も続けられていました。

人口4000人ほどのこの村とその周辺にあった5つの小学校は全半壊。子どもたちやコミュニティに「日常」のリズムを取りもどしてもらうため、村のはずれの空き地に、テントの仮設小学校が開設され、29日までに、待望の教室用大型テント4張が、ユニセフから提供され、アグネス大使は、この日、この学校の子どもたち400人への支援物資第2弾となるスクールキットを届けました。

写真:地震で廃墟になった都江堰の商店街。
© 日本ユニセフ協会

歓声を上げる子どもたち

2年生の教室に迎えられたアグネス大使。鉛筆やノートなど、スクールキットの中身を紹介すると、そのひとつひとつに、子どもたちから「イェーイ!」の大歓声が上がりました。40人あまりの子どもたち一人ひとりにスクールキットを手渡すアグネス大使。すると、既にキットを受け取った子どもたちが、ひとりふたりと、手に何かを持ってアグネス大使の元に駆け寄ります。
「僕のキットには、鉛筆が2本余計に入っていたよ」
「私のキットには、消しゴムが一つ余計に入っていたの」
そんな謙虚で素直な子どもたちに、アグネス大使は「いいのいいの。大切に使ってあげてね。」と優しく応えていました。

写真:地震で廃墟になった都江堰の商店街。
© 日本ユニセフ協会
高橋村。

「ユニセフの支援が欲しい」

高橋村の仮設学校を後にしたアグネス大使が向かったのは、シーファン(shifang)市内の小中学生を対象にした仮設ケアセンター。市内にあった中学校と2つの小学校も全半壊。多くの子どもたちの命が奪われました。このセンターには、山東省や江蘇省などから仕事を休んで駆けつけた医師や先生方が、被災した人々と同様点とでの不自由な生活をしながら、ボランティアとして活動を続けています。その一人、安徽省からやってきた楊冬玲さん(28才)は、「悲しくて悲しくてどうしようもないの。」と訴えてきた子どもたちに、その感情を劇にして表現するようアドバイスしました。

アグネス大使に披露されたその劇は、次のような内容でした。

写真:地震で廃墟になった都江堰の商店街。
© 日本ユニセフ協会
劇の後、悲しい経験を思い出して号泣する女の子たち。

道端で、泥水や残飯を食べようとしています。それを見た子どもたちは、おじいさんに、安全な水や食べ物を渡そうとしますが、老人はそれを拒否します。「私はこの地震で家族も財産も全て失ってしまったんだ。神様はどうして私を連れて行ってくれなかったんだ。私は生きるつもりはない。だから、泥水や残飯でいいんだ。ほっといてくれ。」と子どもたちの言うことを聞こうとしません。子どもたちは、「家族を失ったのはおじいさんだけじゃない。沢山の人たちが家族を失ったの。けれど、今はみんながみんなの家族だよ。だから、そんな水を飲まないで。そんなものを食べないで。」と訴えます。

演技を終えた子どもたちは、その時の状況を再び思い出したのでしょう、アグネス大使の前で大粒の涙を流しました。

「心が傷ついている子どもたちがここにも沢山います。ユニセフがやっている心理ケアのトレーニングを、シーファン(shifang)でも是非やってもらいたい」 楊先生は、私たちにこう訴えました。