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財団法人日本ユニセフ協会



現地スタッフ報告
紛争によって破壊された街、ビント・ジュベイルに支援物資を届けて

 【2006年8月18日 レバノン、ビントジュベイル発】

8月17日、戦争により多大な被害を受けたビント・ジュベイルの街へ、国連の支援物資の第一陣が到着しました。ビント・ジュベイルはイスラエルとの国境に近く、今回の紛争中、もっとも激しい戦闘が繰り広げられた地域です。ユニセフの広報官サイモン・イングラムは、支援物資を運ぶトラックとともにこの地域を訪れ、この報告をまとめました。

©UNICEF/Lebanon/Ingram
レバノン南部、破壊されたビント・ジュベイルの街を走る、国連の支援物資輸送トラック

現在朝の八時です。ティールの海岸沿いには、16の支援物資輸送トラックが並んでいます。私は後方の装甲した伴走車に乗っています。車両の装備に加えて、今回の紛争に巻き込まれた地域には厳しいセキュリティーがしかれています。

私たちの一団は、同じ方向へ向かうレバノンの軍隊や現地の武装兵士を乗せた車列に混じって、東へと向かいました。

疲労と緊張

最初は、爆撃が残した大きな穴といくつかの壊滅したガソリンスタンドだけが、ここで紛争があったことがわかる目にみえる唯一の証拠でした。レモンやザクロの果樹園が道路わきに広がっている様子は、実に穏やかに見えます。

支援物資を積んだトラックは、私達の最初の目的地である、ジュワイヤに向かって登っていく途中で速度を落とし、その横を戦火を逃れた避難民たちが乗り込んだ車が、ヤジを飛ばしながら抜き去っていきます。今、北に逃れていた避難民たちの帰還が始まっています。しかし、このような人たちのうち、帰る家がある人たちはごく僅かということがすぐにわかりました。

ジュワイヤでの停車は非常に短かったのですが、2台のトラックに積んだ小麦粉、調理油やレンズ豆などの物資を積み下ろし、数少ない営業している店の前に立っていた女性と少しの間話すには、十分でした。彼女は、ジュワイヤの町は戦闘による被害をあまり受けていないかもしれないが、残った住民たちは数週間水も、電力もガスもない状態が続いている、といいます。彼女の顔に浮かぶ疲労と緊張をみれば、この戦闘が住民に及ぼした影響が良くわかります。

紛争の爪あと

© UNICEF/Lebanon/Ingram
ティブニン病院の外で発見されたクラスター爆弾を調査している地雷顧問団派遣の爆弾処理の専門家。この地域ではこの他にも、50以上の不発弾が発見されています。

アル・マジャディルに到着するころには、紛争の生々しい爪あとがより鮮明に見えるようになりました。私たちは、床をすべて失い外壁のみになった建物や、外壁が吹き飛ばされ、部屋がむき出しになっている建物の横を通り過ぎました。近くの店の金属製のシャッターは、爆風によって変形しています。道の脇には、粉々になったガラスやその他の瓦礫が落ちています。

しかし、紛争がこれらの町に与えた真の影響が見え始めたのは、私達の次の目的地、ティブニンでした。地震でも起きたのではないかと思われるほどに壊滅した建物もあります。小さな病院の前には、焼け焦げた車が並んでいます。

地雷顧問団派遣の爆弾処理の専門家が道路上の小さな物体をじっとみつめています。その物体の正体は、クラスター爆弾。病院のまわりで発見された約200個のうちのひとつです。

ティブニンには、未だにそれほどたくさんの人が戻ってきているわけではありませんが、その数は日に日に増えています。8台の支援物資輸送トラックが、住民への物資の配給が行われる停車場へと向かいます。病院には、2000リットルの燃料が残っており、少なくとも当面、手術室や他の設備を動かすには十分な量です。

壊滅した町への物資支給

© UNICEF/Lebanon/Ingram
ビントジュベイルの戦闘により被害を受けた学校。=ビント・ジュベイル

一緒に旅を続けるトラックのひとつの燃料フィルターが詰ったために少し遅れたものの、私たちは、最終目的地であるビントジュベイルに向かいました。町の入り口にあった焼け焦げた車に始まり、ビントジュベイルの町はまさに壊滅状態でした。大通りはまるで映画のセットのようです。ある学校は、爆撃機から投下された爆弾の直撃を受け、壁の一面がありません。外からでも、机がはっきりとみえます。またもうひとつの学校も激戦の場となったようです。

私は、戦闘の最中にビントジュベイルから避難したサミアという30歳代の女性に出会いました。サミアは、未だに、彼女のおもちゃ屋さんが完全に破壊されてしまったことを知ったショックから立ち直ることができません。彼女の自宅もかろうじて原型を保っているものの、砲弾やロケット攻撃によってすべての部屋が穴だらけになっています。戦闘の間、サミアと彼女の4歳になる娘が、下に隠れていたという重いテーブルには、大きな穴があいています。

「信じられないわ。」と、あたり一面の瓦礫の山を見つめながら彼女は何度も言いました。

サミアの娘と家族は、まだベイルートに残っています。サミアはいいます。「娘も残りの家族も、もうしばらくベイルートにいると思います。でも、私たちはすぐにまたここに戻ってきて、何もかも始めからやり直すのです。」

今は破壊された店の近くの車庫で、最後の積荷の小麦粉とレンズ豆をおろしました。町に戻り始めた少数の住民にとっては、水やパンの支給のほうがより役立ったはずです。世界食料計画(WFP)から派遣されているこの物資輸送隊の監督者は、このことを理解していました。

ユニセフは、紛争が始まってからレバノン南部にペットボトルに入った水を供給してきました。私は、ティールに新しくできた事務所に連絡し、次の日にはビントジュベイルの町にトラック2台分の支援物資が届きました。