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財団法人日本ユニセフ協会

ライブラリー プレスリリース

世界の子どものために ユニセフ・日本政府 一層の連携を確認

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■ 講演「忘れられた子どもたち」: 黒柳徹子 ユニセフ親善大使

(2007年2月28日 ユニセフメディア懇談会にて)

親善大使 最初の仕事

© 日本ユニセフ協会

私は1984年にユニセフの親善大使に就任し、以来さまざまな国を訪問しました。
1984年の就任当時、アフリカの飢餓の問題は毎日のように新聞で報道されていましたが、アフリカはまだ日本人にとって遠い国というイメージだったので、私はまずアフリカに行きたいとユニセフに希望を伝えました。
 最初に訪れたのは、タンザニアです。そこで、私は餓えというものを目の当たりにしました。1日600人もの子どもたちが命を失い、栄養不良は写真で見ていたものよりずっとひどい状況でした。キリマンジャロの近くに行ったのですが、地面を這う6歳の男の子に出会いました。その男の子は、小さいときの栄養不良が原因で、脳に栄養がいかなかったため、考えることや歩くことができなくなってしまったそうです。私は、この子は20歳になっても這うことしかできないのだと考え、栄養不良というのはとても恐ろしいことだと思いました。
 私は、栄養不良のため表情から感情がなくなってしまった子どもたちにたくさん会いました。でも、そういう子どもでも、抱き上げると私の洋服をつかんで離そうとしないんです。そのとき、食べ物や薬がなくて、もちろんそういうものも必要ですが、子どもたちが一番餓えているのは愛情なのだということがわかりました。それ以来、私はどこへ行っても、毎回ひとりでも多くの子どもを抱くようにしています。

動物を知らないアフリカの子どもたち

 また、タンザニアで、子どもたちに動物の絵を描いてくださいと言って、紙とクレヨンを渡しました。子どもたちにとって紙やクレヨンを手にするのは初めてのことだったのですが、子どもなので何かしら絵を描いてくれるだろうと思っていたのです。ところが、動物の絵を描いた子どもはたった二人。ひとりが紙の隅に小さな灰色のハエを、もうひとりが鳥を描いただけで、ゾウなど私たちがアフリカと言って思いつくような動物を描いた子どもはひとりもいませんでした。そのとき、この子たちの生きている水や食べ物がない地域では動物もいない、もちろん絵本やテレビで動物を見ることもない、したがって子どもたちはゾウの存在も知らずに死んでいくのだということを実感しました。
 タンザニアで、ある村長さんから聞いたお話がとても印象的でした。おとなは苦しいとき、いろいろ不平や不満を言うけれど、子どもは周りのおとな達を信頼して、何も言わずに死んでいくそうです。そのお話を聞いて、私はこれから子どものために働こうと心に決めたのです。
 もうひとつ面白かったのは、私の著書に『窓際のトットちゃん』という本があるのですが、「トット」というのはスワヒリ語で「子ども」を意味するのだそうです。私は小さい頃みんなから「トットちゃん」と呼ばれていたのですが、実はその頃から将来子どものために働くことが決まっていたのかなと考えて、うれしくなりました。

ソマリア−変わらぬ現実

 エチオピアを訪問したときは、内戦状態のソマリアから人々が逃げてくるのを見ました。国境となっている川の向こうから、72,000人もの難民が逃げてきたのですが、私はこれほど痩せた子どもたちを見たことはありませんでした。膝の骨の形がわかるほど痩せていて、髪の毛も抜け落ち、頭蓋骨の形まで見えるんです。まるで骸骨のような子どもたちが黙って、一生懸命歩いていました。
 10年後、私はそのときの人たちがどうなったのかが知りたくて、ソマリアへ行ったのですが、相変わらずひどい状況で、栄養不良の子どもたちがたくさんいました。子どもを抱いた30代のお母さんに出会ったのですが、彼女の夫は空爆で怪我をして働けなくなってしまい、家はまるで籠のようでした。彼女に「希望は何ですか」と尋ねたら、「もし少しでもお金があったら、市場へ行って、子どもたちに食べ物を買ってあげたい」と言うんです。今日本の子どもたちもいろいろ大変ですが、少なくとも日本の子どもは今日食べる物はあります。まったく状況が違うんです。

空爆下のアフガンで子どもたちを守ったユニセフ

 アフガニスタンにも行きました。冬は気温が零下25度にまで下がるのですが、難民キャンプでは、みなさん地面に寝ているんです。WHOによると冬の間30万から40万人の子どもが死んでしまうだろうということだったのですが、ユニセフのアフガニスタン事務所の所長は「子どもはひとりも死なせない」と言って、空爆の中、ロバで毛布や栄養のある食べ物を運び、そのおかげで多くの子どもたちの命が助かりました。もし本当に何十万人の子どもたちが亡くなっていたら、きっと大きなニュースになっていたでしょう。子どもたちが死ななかったからニュースにはならなかったのですが、死ぬような思いをして物資を届けたユニセフのスタッフがいるということを、ぜひ皆様に知っていただきたいと思います。
 コートジボワールでは、たくさんのエイズの子どもたちに会いました。児童養護施設で出会った男の子は、「ぼくたちは希望を捨てていません。エイズを治す薬はないけれど、病気の進行を止める薬はあると聞きました。でも、施設の子どもはその薬はもらえないんです。でも、ぼくたちは希望を持って生きていこうと思っています。」
 アフガニスタンでは、地雷の被害に遭った羊飼いの子どもに会いました。彼はがつけてもらった義足はあまり状態が良くないのですが、その子はうれしそうに「これで明日からまた羊と暮らせる」と言って、それが幸せだと思っているんです。私たちが死んだ方がましだと思うような状況でも、子どもたちは希望を持って生きていこうとしているのです。
 子どもたちに紙を渡して、ほしいものを書いてくださいと言うと、「平和」「学校」「先生」という言葉がほとんどです。「食べ物」と書く子どもはいません。

子どもたちへの支援を減らさないで下さい

 ユニセフの親善大使は任期がないので、これからも健康を維持して、できる限り続けていきたいと考えています。
 私が1984年に親善大使に就任した当時は、1年間に亡くなる5歳未満の子どもの数は1400万人でしたが、今は1050万人まで減ったそうです。そういった意味では、私たちの活動は成果が出ているのですが、でも、まだまだ子どもたちの厳しい状況は続いています。2007年度の日本政府からのユニセフへの拠出が34%も減ることになったそうですが、これは日本の国民ひとりあたり20円出していたのが、13円に減ってしまうということです。どうか子どものためのODA予算を減らさないでください。

 スマトラ沖地震・津波の後、インドネシアの被災地を訪れたのですが、飛行場から海岸まで、ひとりも子どもを見かけませんでした。海辺は瓦礫の山が続いていました。生徒が800人いた小学校で、60人しか子どもが帰ってこなかった学校もあったそうです。

 報道機関の皆様には、どうかユニセフの活動に力を貸していただきたい。お金も必要ですが、一番大切なのは関心を持ってもらうことなのです。

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