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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今 報告会レポート

報告会レポート

アグネス・チャン 日本ユニセフ協会大使
カンボジア視察報告会レポート

日本ユニセフ協会大使アグネス・チャンさんが、8月19日より24日まで、アジアの子どもの人身売買の現状を視察するために、カンボジアを訪れました。
 アグネス・チャンさんは、1998年の日本ユニセフ協会大使就任後、「子どもの商業的性的搾取」根絶のためのキャンペーンに積極的に参加。今年は、「国連子ども特別総会」(5月8〜10日)に参加。同総会で、HIV/エイズと子どもへの暴力・虐待・搾取が、最も深刻な子どもの問題であることを知り、その実情を視察するために、カンボジア訪問を決意しました。

 現地では、なかなか実態を伝えられることのない国境付近の村を重点的にまわり、国境を越えて行き交う子どもたちの現状と対策を視察。また、犠牲になった子どもたちが暮らすセンターや危険にさらされている子どもたちを支援する団体なども訪問しました。

 アグネス大使の帰国後、8月26日(月)午前10時半から、カンボジアから招聘した子どもの人身売買問題に取り組む若者と子どもの人権活動家(「Child Rights Foundation」の創立メンバーであるソクンティアさん、子どもの性的商業的搾取防止に取り組む人権活動家のソーバンナレッさん)を交え、ユニセフハウスで視察報告会を開催し、130名を超える聴衆を前に、人身売買から子どもたちを守ろうと訴えました。

アグネス・チャン大使 報告

戻ってきた活気、広がる貧困

 私たちは8月19日の朝に発って、昨日の朝(25日)に帰ってきました。私たちが今回向かった先は、カンボジアとタイの国境にあるポイペットです。
 内戦の激しかった時、ポル・ポト政権時代に多くの避難民がタイとの国境に押し寄せました。ポイペットの人口も七千人から七万人へと膨れ上がりました。避難民は自分たちの村で仕事を見つけることができず、ポイペットに移住するというかたちになったのです。そして、さらに隣の豊かな国、タイで、仕事を探そうと、いろいろな地域から人々が集まりました。
 カンボジアは若い国で、60パーセントが子どもです。一家族あたりの子どもの人数は平均5.7、およそ6人になります。戦後だからという理由もありますが、とても多いです。

 私がカンボジアを訪れたのはこれで3回目です。初めての年は1988年、ちょうどベトナム軍が撤退した後の年でした。2回目は1990年です。1988年と比べればある程度、よくなっていたと思います。88年、人々は無表情、絶望の中にいるようでした。ポル・ポトの悪夢から立ち直れない、まだ憎しみや生々しい戦争の傷跡が残っていました。将来が見えず、とても暗い感じがしました。
 今回、ポイペットを訪れてみて、物は増え、表情豊かに明るくなりましたね。わずかですが、将来を夢みる勇気がでてきたのだと思います。活気にあふれていました。

 UNTAC(カンボジア暫定統治機構)がカンボジアを去って今年で5年目です。PKO、平和部隊などまだ記憶に新しい方もいると思います。しかし、すっかり平和が戻ったというわけではありません。たくさんの人々が貧困で苦しんでいます。想像できないほどの貧困です。見ていてとても辛かったです。子どもたちはとても明るく頑張っているのですが、それでもやはり辛かったです。

 カンボジアで一番多いのは子どもです。その子どもが売られます。まわりの国が子どもたちを狙います——安い労働力として。言いなりになりやすい、純粋だから、一生懸命働くから、親孝行だから、彼らは子どもの美しい部分につけこみます。

国境の村、ポイペット:傘差しをして働くワニーちゃんとの出会い

 日程を追って話しますが、私たちはまずバンコクに到着し、そこから5時間かけて国境のタイ側の街で一晩過ごしました。そして翌朝早くポイペットに向かいました。浅い川が国境となっているのですが、そこを渡りちょっと上にあがったところにシバ神の像があり、それを越えるとポイペットに入ります。

 カンボジア側に入ると、多くの子どもたちが物乞いをしている姿が見られました。「お金ください」と言ってきます。そして多くの人が国境を越えようとしていました。彼らは走って国境をわたり、そして夕方ごろに帰ってきます。国境を渡るときは、カンボジア側で用意された緑色の許可証が必要なわけですが、これは10バーツ、日本円では30円で買うことができます。緑色の紙には名前、住所、年齢、記入事項もあるのですが、記入しない人が多いです。子どもは無料です。国境をこえるのはとても簡単なことです。子どもたちは自由に行き来しています。これほどゆるい国境なので、人身売買のカモをさがしている人にとっては絶好の環境です。子どもの手をとって、自分の子ですと言えば国境を渡れるのです。

そして、私たちはカンボジアに渡り、働いている子どもたちのなかで、ワニーちゃんという子どもに出会いました。ワニーちゃんは13歳で、身長は140 cmほどです。日本の13歳の子どもたちと比べて小さいと思います。ポイペットには今、大きなカジノが建設されています。これは、タイ人のためにつくられています。タイではつくれないので、カンボジアにつくってタイ人が国境をこえてやってくるというわけです。このカジノの外と中では天国と地獄ほどの違いがあり、そのお客さん目当てにワニーちゃんのような子どもが、そのまわりで仕事をするのです。

 ワニーちゃんは傘差しの仕事をしています。ワニーちゃんは、カジノから出てくる人に傘をさしてあげ、そこで運がよければ5バーツほどもらいます。彼女たちは物乞いではなく、仕事だとしてやっています。雨が降ると需要も多くなるわけですから、傘差しの子どもたちは多くいます。彼女はその仕事で、日本円にして一日約90円ほどを稼ぐそうです。

 私たちは彼女の仕事だけではなく、彼女の家庭も見に行きました。ポイペットの国境から、彼女はバイクが引っ張るリヤカーに乗って移動します。彼女の家は4キロの先、バイクからおりてからもずいぶん歩いたところにありました。なんにもない所にポツンポツンと数軒あるうちのひとつ、小さな今にも崩れそうな家でした。そこにワニーちゃん、両親、兄1人、弟2人、妹1人で暮らしています。私たちが行ったとき、雨が降っていて、道はどろどろ。シバ神の像を過ぎたあたりから道は舗装されておらず、道には石がごろごろ落ちていました。

ワニーちゃんの家は野原の真ん中で、どろどろで靴は埋まるし、はだしにならなくては歩けません。日本では濡れたら帰って拭きますが、そんなことはしません。濡れたままで雨漏りした家に入ります。電灯もほとんどついていなくて、うす暗いです。お母さんは、妹の世話にかかりきりで、ワニーちゃんが2人の弟を食べさせてあげます。家事、子守り、すべてを長女のワニーちゃんがやっているのです。朝6時に起きて12時間働いて、ごはんは白いご飯に茄子の煮物です。稼いだお金は家族にわたします。お父さんは帰ってきていないし、お兄ちゃんはタイに行ったきり帰ってきません。私はそれを見て落ち込みました。それでもワニーちゃんの家の状況は一番ひどいものではないのです。家族があって、面倒を見られる弟がいて、帰る家がある——ワニーちゃんはまだよいほうだったと後から分かってきました。

カジノの建設のために家を失い、スラムをつくって生活する人が多くいました。地雷をふんで他にどこも行くあてがない人や事情はさまざまです。どこの家にも赤ちゃんがいて、多くの子どもたちがいました。今日この日を食べていくのが精一杯というのが現状です。



騙され、連れ去られ、売られた少女、ウェットちゃん

 次の日、私たちは「グットー」という援助団体を訪ねました。そこは、デイ・ケア、ロングターム・ケア、マイクロ・ローンを行っているところでユニセフも応援しています。デイ・ケアとは、昼間に子どもたちを世話すること、ロングターム・ケアとは帰る場所がない子どもを世話することを意味します。マイクロ・ロ—ンは、子どもを売ってしまったり人身売買に何らかの形で関わったりしたお母さんたちのために利子なしでお金を貸すシステムで、750バーツから2000バーツまで借りることができます。多い額ではないのですけれど、私たちが行った日も長い列ができていました。お母さん達はそのお金で何とか商売をして、収入を得ます。収入ができれば子どもたちも売られることなく生活できるようになります。

私たちはそこでウェットちゃんという子に出会いました。彼女は人身売買された子どもです。
 ある日、ウェットちゃんは、ほかの子どもたちと一緒に村では珍しいビデオを見ていたのだそうです。普通の家にはテレビなど置いていないので、村の子どもたちが一斉に集まってきました。そこでウェットちゃんはは男の人から飲み物をわたされ、飲むと、気を失ってしまいました。そして目が覚めたらそこはタイだったのです。彼女はバンコクに運ばれ、ベトナムの子どもたち含めて9人で、花売りやキャンディ売りをさせられたそうです。20バーツのキャンディを300バーツになるまで売らなくてはならず、売れなかったらご飯はなしです。600バーツ以上売ってわずかな額のお小遣いがもらえるそうです。
私は彼女にたずねました。「いままでに見た一番悪い夢は何?」彼女は「電線の鞭で打たれたことです」と答えました。それは現実にあったことでした。300バーツ売れないと、電線の鞭で全身打たれたそうです。「楽しい夢は?」と聞きました。彼女は、「一度も見たことがない」と答えました。彼女は今、16歳くらいでしょうか。両親は亡くなっており、お母さんはエイズだったそうです。彼女はこの施設で保護されています。

 私たちは「CVD」という施設にも行きました。ここでは、ハーフ・デー・スクール、つまり半日の学校を行っています。なぜ半日かというと、労働力となる子どもたちが丸一日学校に行くのは難しいからです。しかも一食、給食つきということで何とか親を説得し、子どもをここに通わせています。ここには150人の子どもが通い、彼らのなかには人身売買の経験を持つ子どもがたくさんいました。男の子は物売りだけではなく労働力として使われ、農場で働く子もいました。小さい子でお母さんと共に行った子どももいます。お母さんがどこかで働いている間に、子どもたちはキャンディ売りや物乞いをするわけです。戻ってくるときは、タイで不法滞在者として警察につかまって強制的に送還されてきます。

 私は学校で多くの子どもたちと会いましたが、本当に普通の子が連れ去られています。お母さんが売ることもありますが、薬を飲まされてさらわれたり、お母さんと一緒に行く子もいます。子どもたちに決定権はないのです。中には物乞いのため、2歳の子どもを連れ去ったケースもあります。一緒に連れて、同情をかうのだそうです。2歳から大人になるまで、子どもたちの生活は危険に満ちています。年頃の女の子は売春もさせられます。

大都市バッタンバン:母親に売られたサリーとアドリー

 私たちはカンボジアの第二の都市バッタンバンに向かいました。途中ではユニセフが力を入れているプログラム——人身売買された子どもたちのためにどのようなケアを行い、人身売買をどのように取り締まるのかを研修するプログラム—— の卒業式を見に行きました。ソーシャルワーカーや、NGO関係の人々、警察、軍の人、いろいろな人たちが集まり、3日間の集中講座で勉強し、自分たちの地域で活用でしてもらうということでした。

タイの寺院ではHIV/エイズで親をなくした子どもたち、50人が生活しています。親をなくした子どもたちを人身売買のターゲットから守るために、お坊さんたちが面倒をみています。子どもたちはお坊さんと一緒に村をまわって食料をもらいます。ハッピーチャイルドというプログラムは子どもたちに教育を与え、そして農業を教えていこうというものです。カンボジアは本来、農業の国です。今は現地の農民が教えていますが、是非、日本からも技術の導入を借りたいです。
ホームランドは人身売買された子どもたちが保護される施設です。子どもたちの心の傷をできるだけ癒して、最終的に村に戻れるようにします。そこで女の子のサリー、男の子のアドリーに出会いました。彼らは二人とも次の日に家に帰るということでした。サリーは母に売られ、タイに行きました。やはり花売り、キャンデー、そのような仕事をさせられました。アドリーは両親を亡くし、預けられた叔父の子どもたちと一緒にタイで働きにいき、警察に捕まり、送り返されました。

 私たちはバッタンバンからポイペットに帰ることになりました。しかし、サリーは具合が悪くなり、何度も吐きました。これは精神的なストレスによるものだと思います。帰りたい、でも帰りたくない…。サリーは、朝はぐったりしてしまっていて、先生が無理だと言いました。私が日を改めよう、私がお母さんに会ってくるから、と言うと、とたんに元気になりました。

私はサリーのお母さんを訪ねました。ほんの少しの果物を売り、たおれそうな家に二人の子どもと住んでいました。兄二人は親戚に預けたと言いましたが、本当かどうか分かりません。実は、サリーは母親に2回売られていました。彼女は家に帰ったらまた売られてしまうのかと心配だったのでしょう。アドリーの親はすでになく、拾われた夫婦の「もの」となってしまう可能性があります。彼を帰せるかどうかと悩み、結局は連れてかえることになりました。

 子どもを売ってしまうお母さん、たぶんものすごく辛いと思うんです。生活はとても苦しいし、けれど、今は、ユニセフやNGOの活動が盛んになってきています。
 「自分の子どもが売られてどのような目にあうか分からなかった、でも分かった今、もう2度と売ることはないだろう…」とサリーの母親は言いました。サリーを売った理由は下の子が病気になったからということでした。では、また下の子が病気になったら売るのでしょうか。お母さんは泣きながら「サリーが自分で行くと言っているじゃないか」と言いました。私は、それでも、絶対に売ってはいけないのだと、一生懸命話しをしました。

哀しいカンボジアの現実: メイ・クチュール
—子どもを騙し売って生活する人々

 人の子を誘って、さらって、売る人のことを「メイ・クチュール」と言います・「メイ」は「母親」、「クチュール」は「風」のことです。再定住する人のための場所に「メイ・クチュール」がいました。この場所を突き止めることは大変危険なのですが、警察の後ろ盾もあり、その人の住んでいる家にいきました。派手な家で、中には多くの写真が貼ってありました。「メイ・クチュール」と呼ばれる人は若い女の人で、彼女自身3人の親でした。見かけは大変やさしそうで子どもが寄ってきそうな女の人でした。実際に売られた子どもの証言をもとに、やはりこの人だということになりました。彼女は違うと言いつづけましたが、私たちが話しているとき、普段なら近寄ってくる人びとが、あたりからさっと消えたので、やはりこの人だろうと確信しました。

夜の街にはシンナーを吸う子どもがゴロゴロしています。隣にはピンクのネオン、売春宿がひしめきあっています。多くの少女が売られます。おとなの欲望は限りないです。若い女がほしい、安い労働力がほしい、お金がほしい、メイ・クチュールのような人は、どのような手段を使ってでもはやく豊かになりたい、隣に見えるタイの豊かさ、それに比べて自分たちの辛い生活に負けて、その結果、子どもたちが犠牲になるのです。カンボジア政府もタイ政府もNGOもようやく本腰をいれてこの問題を取り組もうをいう姿勢を示しているので、これから私たちの出番も多くなるのではないかと思います。応援して援助して、活動を開始して、子どもたちがきちんと教育を受けられるように、仕事が見つかるように—。

 お坊さんが言ってました。日本は広島、長崎があって後も、努力して、教育を受けて、働いて、ここまでやってきた。カンボジアも日本みたいになりたい。
 ぜひ、皆さんの力を借りて、ワニ—ちゃんや、ウェットちゃんや、そういう子どもたちが一人でも減ってほしいのです。私の会ってきた子どもたちは、帰ってこられた子たちです。村の中には子どもが行ったきり帰ってこない、どこへ行ってしまったか分からない、というケースも多くあります。今日も数え切れないほどの子どもたちがタイで家に帰れず、夢も希望も、場合によっては命さえも奪われています。お金ある人が何でも買える、子どもの命も、夢も希望も好きなようにできる。許せないことです。私たちも頑張って、この新生カンボジアで必死に生きている子どもたちを応援してまいりたいと思います。

アグネス大使の報告に続き、カンボジアから来た子ども・若者の活動家が現状について話をしました。
ソーバンナレッさんから

 ここにいらっしゃる皆様に敬意を表します。私はディ・ソーバンナレッと言います。今年で17歳になります。今日、カンボジアの子どもたちについて皆様にお話できることを大変うれしく思います。

 カンボジアの子どもの現状を話す前に私の自己紹介をします。そしてこの仕事に携わるようになった経緯をお話します。
 私は13歳で学校をやめました。母と一緒に市場で野菜を売ります。毎朝4時に起きて野菜を市場で仕入れます。一日の売上はカンボジアのお金で3000リエルから4000リエルです。午前中は6時から12時くらいまで野菜を売ります。午後2時からは縫製の学校に行きます。2001年11月4日に私は「アジアではたらく子どもの会」という団体が主催した児童労働防止に関するセミナーに参加しました。私は家に帰って、近所の子どもたちにそこで学んだことを教えたりしました。
 今、私は別の団体とも働いていて、子どもに「子どもの権利」を教える活動を行っています。「子ども権利財団」主催の青少年の労働搾取防止についてのセミナーに参加して、私はその団体の委員になりました。私はそこで青少年の労働搾取について学ぶ機会を得て、子ども、青少年労働の搾取について心を痛めました。

 今、カンボジアにはたくさんの青少年団体があります。児童労働防止や売春防止などの活動を行っています。カンボジアにはたくさんの私のような若い人たちが組織して、一生懸命、子ども売買のために活動を行っています。私たちは子ども売買をなくすために、かたい決心をし、活動としては、子どもたちが騙されないように、ボランティア、無償で普及活動を行っています。
日本の皆さま、日本政府の方々のご支援をどうぞよろしくお願いします。日本政府はカンボジアの人身売買に関心をもって、止めるようにご協力をお願いしたいです。ありがとうございました。

ソクンティアさんから

 こんにちは、皆さん。
 今日は私の胸のなかにいろいろな思いがあります。昨年12月に横浜で開かれた「第2回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議(横浜会議)」に参加するため日本に来たことがあるのですが、その時の友だちに会えて大変うれしく思います。私が今回日本に来られたのは、ユニセフのおかげです。この場を借りてお礼を言いたいと思います。それに、会場の皆さん、カンボジアの人身売買の問題について、関心を持っていただいて、ありがとうございます。

 カンボジアにはあまりにも多くの問題があるので、午前中だけで説明するのは大変困難なことだと思います。さきほどのアグネス・チャンさんの説明で、皆さんもカンボジアの子どもたちの悲惨さについてご理解いただけたかと思います。ご承知のようにカンボジアでは20年間内戦が続き、その後も政治の不安定で国内でいくつかの事件がおこりました。平和のために政府はあらゆる政策をとりました。
 今、カンボジアはどのようになっているのか、カンボジアの概要を説明したいと思います。どこの国の子どもも、夢や希望を持ち、よい生活、よりよい教育を受ける権利があります。カンボジアの子どもは全人口の51%を占めています。1993年の総選挙以降、国は国の再建のために努力しました。国際条約を締結し、「子どもの権利条約」も含まれています。

 カンボジアの子どもに関するデータを見てみましょう。総人口は1,300万人、そのうち15歳以下が42.8%を占め、18歳以下が57%を占めます。年間人口増加率は2.6%ですが、乳幼児死亡率は1,000人あたり95人、5歳以下の死亡率は1,000人あたり125人、5歳以下の栄養失調の割合は50%を占めています。
 先ほどのアグネス・チャンさんのお話にもありましたが、カンボジアの子どもたちが実際より若くみえるのは栄養不良のためと思われます。一人あたりのGDP(国民1人あたりの国内総生産)は米ドルに換算して280ドルです。戦争中に多くの知識人が殺され、そのためにカンボジア知識人が非常に少なく、自分の子どもを売ったりすることも起こります。15歳以上の識字率は男性が57.9%、女性が22.2%です。約10万人の子どもが他の家でお手伝いとして働いていますが、暴力、虐待を受けるケースが多くあります。お手伝いは朝早くから夜遅くまで働かされます。場合によっては家の人からレイプされたり、転売されたりしています。

 カンボジアの3歳から5歳の子どもの94%は幼稚園に通っていません。彼らは幼稚園がどのようなものかさえりません。小学校を卒業できるのは52%。多くの子どもたちは学校を途中でやめ働きにでます。孤児も多く、観光客から暴力、レイプをうけ、孤児は簡単に外国へ売られます。彼らは薬物を使用します。ある援助団体の調査では、市内にいる孤児の数は780人で、そのうち513人が薬物を乱用をしているといいます。
 そして子どもたちの犯罪が数多く起こり、彼らは刑務所で生活しています。多くは、騙されたり、薬物販売、使用を強制されたりして、警察に逮捕されます。カンボジアではまだ子どものための法律が整備されていないので子どもの裁判は解決されないままです。エイズに関する問題もあります。2001年のデータによると、2,592人の子どもがエイズで亡くなりました。買春が多くなってきていて、以前はタイでの問題が深刻だったのですが、アジアで、今、最も深刻なのはカンボジアでしょう。7,000人の子どもたちが親をエイズでなくし、2003年にはさらに増えると予想されます。

 今、一番心配されていることは買春の低年齢化です。カンボジアでは毎日、新聞がこの問題をとりあげています。
 83歳の老人が12歳の子どもをレイプしたり、父親が実の子どもをレイプしたりと、異常な事件も起きています。たくさんの子どもが買春の犠牲になっていますが、国内だけではなく、これは海外にも及ぶ問題です。外国に売られる子どもは毎月800人いると報告をうけました。臓器売買や養子縁組が目的の乳児の人身売買も増えています。ある地域では20万人が売春の仕事につき、そのうち3万人は子どもです。

 このようにカンボジアにはたくさんの問題があります。解決できるのか私たちには分かりません。私たちは一生懸命活動して、願うことは、子どもの生活改善がなされることです。できるだけ子どもたちをこの悲惨な状況から助けたい——これが望みです、希望です。今、カンボジアには3つの悪魔がいるといわれています。1つ目はエイズ、2つ目は麻薬、3つ目は売買春です。
 日本はこれまでカンボジアを支援をし続けてくれています。日本政府を支える皆さんに、これからも支援をお願いします。どうもありがとうございました。

<Q&A>

Q:具体的にはどのような支援をしてゆけばいいですか?

A:アグネス・チャンさん
日本ユニセフ協会大使として、是非、ユニセフを応援していただきたいです。ユニセフはCommunity-Based Child Protection Network (コミュニティをベースにした子ども保護ネットワーク) というプロジェクトをカンボジアで立ち上げていまして、特に保護が必要な子ども、(放置、虐待、性的搾取、人身売買の被害にあった子どもたち、ストリートチルドレン、障害のある子ども、孤児、法律に反した子ども、紛争のあった地域に住んでいる子ども)を保護、支援しています。政府の応援もあり、法律の整備をして、国会で通った後も、その法律が国の中で根付いていくような活動をしています。そして、NGO団体の支援。数多くNGO団体があるのですがポイペットのなかにも200ぐらいあり、そのなかで厳しく審査し、活動がきちんとなされている団体を支援しています。

Q: カンボジアでの視察を終え、横浜会議をふりかえってみてどのようなことを思われましたか?そして、横浜会議のホスト国だった日本がどうあるべきか教えてください。

A: アグネス・チャンさん
横浜会議のときと違っていたのは、人身売買はただ売買春だけではなかったということです。横浜会議のテーマは、性的、商業的な子どもの搾取のことでしたし、私はタイでもフィリピンでもそのような現場をみてきました。しかしカンボジアに行って、子どもたちは性だけでの提供ではなく、労働、物乞いとして使われたり、子どもの持っているすべてを、全部を、搾取してとっていこうという現実を見ました。カンボジアの貧富の差はアジアのなかでも顕著で、おとなが子どもを守りきれず、おとなが子どもたちを搾取している——生活はたいへん辛いものです。ワニーちゃんの生活も苦しいものでしたが、弟の面倒を見るほっとした顔が忘れられません。やはり家族の絆が子どもにとって何より大切です。地域で、この家族の絆をどう支えていくのか、今後の課題であると思います。私たちにできることはたくさんあります。ひとりひとり違うと思いますが、活動を行っている団体に参加したり、信頼のおける団体を支援したり、どうぞそのつながりを切らないでください。

Q: CSEC (子どもの商業的性的搾取) の一番の原因は何だと思われますか?

A: アグネス・チャンさん
おとなの欲望だと思います。その欲望から子どもは自分を守りきれない。騙されて、自分たちはまだ恵まれているんだ、良くなっているんだ、と思いこまされてしまう。まだ判断もできない年頃からそのような環境におかれるわけです。

A: ソクンティアさん
これにはさまざまな原因があると思います。アグネス・チャンさんがおっしゃったのもそのひとつで、横浜会議でも、多くの議論がなされました。需要があるから供給があるのです。貧困だけが理由のすべてではないと思います。

Q: 現地の警察の取り組みについて教えてください。

A: アグネス・チャンさん
法律をつくることにユニセフも関わり、できれば来年には国会を通そうとしています。実際、先ほども触れたように、警察やいろいろな政府関係者への3日間の集中講座が行われています。ずさんな調査の改善に向けて、例えば子どもたちを村に返すまでの親の調査等を、ユニセフが協力して行っています。理解されなかったり、汚職もあったりするかもしれませんが、それを非難するより自分たちで動こうという精神でやっています。啓発活動は、政府、軍そして警察につながり、意識は高まっていると思います。

A: ソクンティアさん
ユニセフの協力で、内務省にホットラインが設けられています。しかし、回線はひとつしかなく、一部の地域は使えないという現状です。回線をさらに設置すれば、買春を監視でき、調査が簡単になると思います。
A: アグネス・チャンさん ポイペットには電話はありませんでしたね。足で歩いて広めていかなくてはなりません。電話が珍しい地域はまだあります。


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