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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今 報告会レポート

報告会レポート

ユニセフ・シエラレオネ報告会「忘れられつつある危機」

写真

■日時

2005年6月7日(火)

■会場

ユニセフハウス 1F

■報告者

 

ユニセフ・シエラレオネ事務所
子どもの保護担当官
根本 巳欧さん

長く続いた内戦が終結し、”平和”が訪れてから3年。いったん平和が訪れたことで国際社会からの関心が急速に失われつつあるシエラレオネは、しかし、いまだ内戦による深い傷を抱え、子どもたちの厳しい状況は続いています。そんな「忘れられつつある危機」をユニセフ・シエラレオネ事務所 根本氏に報告していただきました。

概略

○シエラレオネという国

シエラレオネは西アフリカにある非常に小さな国です。もともとポルトガル人が発見した国で、ポルトガル語では「ライオンの山」という意味です。面積は北海道と同じくらいで、人口は約500万人(東京都の半分くらい)です。首都はフリータウンで公用語はイギリスの旧植民地であったため英語になっています。シエラレオネの海岸には美しいビーチが広がりますが、道路は舗装されていなく全国で電気がくる町は首都フリータウンを含めて3つのみであるなど、戦後のインフラ整備が遅れ、生活環境が厳しくなっています。

写真

○子どもたちの状況

シエラレオネの5歳未満児死亡率は1000人中286人、つまり3人に1人は5歳の誕生日を迎える前に亡くなってしまいます。この数値は世界では最悪の状況です。出生時の平均余命は34歳と、これも世界で最も低い国のひとつになっています。国民1人あたりの国民総所得は140米ドル(1万5000円程度)、一日1米ドル以下で暮らす人の比率(貧困を示す指標)は57%です。初等学校就学率、出生登録、成人識字率、安全な水を確保できる人の比率などどの指標も低く、また地域差、男女差があるのも大きな特徴です。HIVエイズの拡大も新たに大きな問題となっています。

紛争がもたらしたこと、平和がもたらしたこと

○紛争の歴史概略

1961年にイギリスから独立、その後政治的な混乱が長く続きました。内戦が始まったのは軍事クーデターがあった1992年以降ですが、その後も政治権力をめぐって様々なグループが入り乱れて戦いを行い、最終的に平和合意にいたったのは2002年1月と言われています。

○組織的な暴力のターゲットとなった子どもたち

写真 まず、子どもの兵士の問題。子どもを誘拐して兵士として訓練したり、兵士のために働かせたり、子どもが軍隊の一部として利用されてきました。ユニセフの推定では約1万人の子どもが子ども兵士として国内で戦っていましたが、子どものDDR(武装解除、社会復帰のプロセス)に乗ったのはのち6800人程度です。

性暴力(レイプ)・虐待の問題では、加害者となった子どももいますが被害者となった少女の存在がやはり大きいです。また内戦の結果難民・国内避難民となった人々が大勢いますが、多くが女性と子どもです。子どもたちは教育の機会が奪われたり、保健のサービスが受けられなかったり、様々な形で内戦の被害を受けてきたのです。

○内戦の被害

写真戦争よって教育・保健施設が破壊されたり、先生が逃げ出したり殺されてしまって学校が運営できなくなったり、難民となって医者・看護士が国外へ出てしまって国内で治療を行える人がいなくなったりした結果、社会サービスの質の低下が問題になっています。さらに、司法・行政制度も機能停止に陥りました。それは、政府と反政府が対立し、実際には国が二分三分された形になり、その結果各々の武装勢力が各々の裁判所や警察機能を持つようになって、子ども達が何の罪もないのに連行されて行くといったケースがみられました。内戦によってコミュニティ・ネットワークも崩壊しました。一般的にアフリカでは拡大家族の考え方が生きていて、両親がいなくても親戚やコミュニティの隣人が助け合うようなシステムがあると考えられていましたが、内戦の結果そういったネットワークさえ断ち切られてしまいました。さらに、戦争を生きてきた子どもたちは平和を知らないなど心理的影響も深く残っています。今後、国内で子どもたちを保護する環境をどう整備していくか、社会福祉制度の再建という課題があります。

○「平和」が訪れてから

写真 多くの子どもたちは家族や親戚のもとに戻り、共に暮らすことができるようになりました。中には学校に戻ったり、たとえ家族が見つからなかったり年齢が大きくなってしまっていも、自立のための職業訓練を受けることができるようになりました。しかし、平和が訪れたとは言っても、子どもたちにとっての危機はまだ終わってはいません。

写真 コノのレインボー・センター(性的暴力の被害者を助けるためのセンター)で会ったクンバ(17歳、女の子)は「戦争は私の人生を大きく変えてしまった。できることなら、もう一度学校に戻って、先生になりたい。」と言います。クンバは両親と共に戦争中反乱軍に捕らえられ、両親はその場で殺されました。和平合意後スキをついて逃げ出し、おじが住む村で生活をするようになりました。しかしおじから性的虐待を受けるようになり、我慢できなくなってこのセンターに逃げてきたのです。警察の調査によると、おじは3年以上にわたって虐待を加えていたそうです。

レインボーセンターは性的暴力の被害者が警察に通報されて連れて来られると、ソーシャルワーカーと一緒に彼女たちのメディカル・チェックとカウンセリングをして、NGOのサポートシステムを受けられるように準備をする機能を担っています。

ユニセフがNGOと協力してクンバにカウンセリングや職業訓練(彼女の場合は17歳なので学校に戻るよりも職業訓練)のプログラムを用意しました。女の子の場合職業訓練としてガラという染物の作り方を習って、その後自立していけるような訓練を受けます。

緊急事態が終わった後も引き続く危機

○暴力の連鎖

戦争中にあった暴力行為、その暴力の連鎖を止めることが平和をもたらすことに繋がります。平和合意は結ばれましたが実際に暴力の連鎖を止めたことにはなりません。むしろ一般の人々の心の中に生まれてしまった暴力に関する気持ちをどう食い止めていくか、どう連鎖しないようにしていくかが重要です。

特に、女性や子どもに対する暴力をいけないことだと認識している人は非常に少ないです。戦争というような状態が日常的にある中で、人々の感覚も麻痺してしまっていることが多く、実際にソーシャルワーカーがコミュニティに入って女性を殴ることや女性をレイプすることは罪になることを伝えていく活動をユニセフはしています。

写真 フリータウンの少年拘置所に拘留されているアブドゥル(12歳、男の子)はこう言います。

「家には帰りたくなかった。携帯電話を盗んで、それを市場で売れば、お金が手に入ると思ったんだ」

彼は路上で携帯電話を盗んだ罪で警察に捕まえられ拘置所に連れて来られました。現在9カ月間も拘留されたまま、裁判の目途もたっていなく、家族も引取りを拒否したケースなのでいつ出られるかわからない状態です。戦争前は家族と一緒に暮らしていましたが、戦争の悪化に伴い地方の街を離れてフリータウンの国内避難民キャンプで生活していました。父親は戦争で財産を失い働く意欲を失って一家の稼ぎ手が誰もいない状況。アブドゥルも学校がつまらないので学校に行かず街でストリートチルドレンたちと一緒に生活するようになりました。フリータウンの少年拘置所にはアブドゥルのような子ども達がたくさんいます。その中でも元子どもの兵士だった子どもの数が増えてきています。元子ども兵士の社会復帰というプログラムはありますが、これに参加できなかった子どもたち、あるいは上手くコミュニティに戻っていけなかった子どもたちが最終的に路上で暮らすようになり犯罪に手を染めたり犯罪の被害者になったりするケースが増えてきています。社会保障省が持っている統計では、毎年約1000人の子ども達がこのように少年拘置所にやってくるそうです。

○新たな危機

新たに生じつつある危機もあります。例えばストリート・チルドレンの増加、犯罪に関わる子どもの保護、子どものトラフィッキングなどで、戦争の中ではなかなか見えてこなかったテーマが今になって表面化してきました。こうした危機は緊急事態の後に私たちが焦点をあてていかなければならない非常に大きな問題となっています。

紛争後の子どもの保護−ユニセフの取り組み

○緊急援助から開発援助へ

写真緊急事態の場合には食料や清潔な水がないなどの状況で死んでいく子どもたちへの支援が最優先ですが、開発援助というより長期的な視野をもった支援をしていく場合には量ではなくサービスの質に焦点を移して活動を行っていかなければなりません。すなわち、子どもを保護する環境の整備であり、保健・衛生設備、教育システム、社会保障、及び司法制度などすべての分野に関わることです。

現在シエラレオネでは子どもが学校に戻ってきたとしても、実際にトレーニングを受けた教師は全体の半分程度と教師の質も問題になっています。また、学校で教えるカリキュラムは20年以上改定されていないままで、子どもを学校に戻したとしても質の低い教育しか提供することができません。シエラレオネは緊急援助の段階を抜けているので長期的な開発という意味ではサービスの質という問題に着目していかなければなりません。

○支援のパッケージ化

まずすべての子どもたちのために社会サービスの質とアクセスを保障するということです。緊急事態の段階ではユニセフをはじめ様々な援助関係者(政府、NGO、国際機関)がシエラレオネで援助活動をしていましたが、各々が独自のスタンダードで独自のプログラムを持ち子どもへの支援を行っていました。その結果、サービスの質がまちまちであったり、そこにアクセスできる子どもも偏ってしまったりした問題がありました。緊急事態が終わった後、開発援助の段階ではこれを統一し、スタンダード化された社会サービスの提供が必要となります。

「すべての子ども」を守るために、コミュニティー・ベースの社会サービスが重要になっています。今ユニセフが進めている活動のひとつとして、チーフ・フォー・チルドレン・イニシアティブというものがあります。村々で権力を持つチーフ(酋長)を取り込んで彼らの発想をチャイルド・フレンドリーに変えてもらい、その上で彼らを頂点に保健衛生・教育のサービスを提供していこうという、「下からのアプローチ」です。

○残された課題

写真社会サービスの質の向上、地域間・男女間格差の是正のために必要なのは第一に政府のキャパシティ・ビルディングです。最終的にシエラレオネの子どもたちの権利を守るのは国であるべきで、ユニセフやNGOの活動はあくまでもそれを補完するものでなければなりません。しかし紛争中あまりにも多くの援助機関が入ってしまったため政府には未だに依存体質というものが抜けていません。資金的にいうと、政府の予算の現在60%以上を外国からの支援に頼っています。彼ら自身が実際にプロジェクトを実施するのが難しいので、その実施まで援助機関に頼っている状況が続いています。優秀な政府の役人などは難民となって国外に逃れてしまってそのまま戻ってこなかったり、あるいは戦争中殺されてしまったので、現在残っている政府の役人やソーシャルワーカーをいかにトレーニングして能力をつけていくか、長期的な意味ではそうしたことが重要です。

○忘れられつつある危機

アフリカの今起こっている問題は、昨年末のアジアの津波のようにわかりやすいものではありません。シエラレオネの場合、呼吸器系の病気、マラリア、はしかの病気が子どもたち死亡の原因の7割を占めています。おそらく日本ではこうした病気で死ぬ子どもはいないと思いますが、マラリアだけでも5歳未満児の3割が死んでいます。このような問題は非常に見えにくく、特に日本のように遠く離れた国には伝わりにくい問題です。メディアは緊急事態であれば注目し盛んに報道することがありますが、シエラレオネのように一度「平和」が訪れてしまうとなかなか注目しないもので、一般の人々の関心もそれに伴って低下していきます。その結果、これから子どもの保護のための体制を作っていかなければならない国で資金が不足してしまうという問題が起こります。

写真最後に、ユニセフで働く広報担当のシエラレオネ人スタッフの言葉を紹介します。

—「戦争を通じて人間の醜さを知った。それと同時に人間がそれを克服する強さも知った。」

この言葉は、希望を忘れない、たくましく生きていこうというシエラレオネ人の決心の表れであると思います。しかし、平和の到来は子どもたちにとって必ずしも危機からの脱却には繋がりません。新たな危機が子どもたちを襲っているかもしれません。シエラレオネの子どもたちを救うためにはまだまだお金や人材が必要です。そうしたものを日本の皆さんに忘れないでいて欲しいと思います。

写真:©日本ユニセフ協会

報告者:根本巳欧(ねもと みおう)

東京大学法学部卒。米国シラキュース大学・マックスウェル・スクール大学院で公共行政管理学、および国際関係論の両修士号取得。日本ユニセフ協会広報室に勤務。その後ユニセフ駐日事務所コンサルタントを経て、2004年3月よりユニセフ・シエラレオネ事務所 子どもの保護(Child Protection)担当官

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◇ 募金のお願い ◇

財団法人日本ユニセフ協会では、シエラレオネなどアフリカの子どもに対するユニセフの緊急援助を支援する「アフリカ緊急募金」の受付を行っています。皆様のご協力をよろしくお願い致します。

アフリカ緊急募金

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*当協会への募金は寄付金控除の対象となります。

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インターネットからも募金を受け付けています。
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お問い合わせ先:
財団法人日本ユニセフ協会 協力事業部
TEL:03-5789-2012 FAX:03-5789-2032

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