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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今 報告会レポート

1.世界の現状−なぜ子どもたちは「取り残される」のか

アグネス大使(以下アグネス):あらためまして、皆さん、こんばんは。これからシンポジウムを始めたいと思います。もう一度、きょう集まってくださったパネリストの皆さんに拍手をお願いします。

子どもの権利条約が採択されて18年、まだ18年なのかという感じもします。日本がその権利を認めてから13年。私はもっと前から、権利条約があったのかなというイメージがありましたが、みなさんはどうお感じになられましたか?

18は外国ではもう成人です。振り返ってみて、ほんとうにこの権利条約は何のためだったのか、どういう成果があったのか、そしてこれからどうすればいいのか・・・という話を、今日は、専門家の皆さん、そして子どもたちの意見を聞いてまいりたいと思います。

想像してみましょう。目をつぶって、オギャーオギャーと、今子どもが生まれました。声だけ聞こえている。生まれているのがイメージできますよね。でも、その子はどこの国の子かもわからない。どういう皮膚の色かもわからない。女の子なのか、男の子なのかもわからない。五体満足なのかどうかもわからない。どういう宗教なのかもわからない。オギャーオギャーだけが聞こえる。さあ、私たちはどうやってその子を守っていくのか。それが子どもの権利条約の役目なのかなと私は思います。

では、ここで、子どもの権利条約をほんとうに勉強しているし、研究しているし、世界の状況もよく知っていて、ユニセフの仲間としてもすごく頑張って下さっている平野さんから、意見を聞きたいと思います。お願いします。

 

平野裕二氏(以下平野):まず、ちょっと歴史を振り返ってみたいと思いますけれども、国連で1948年に世界人権宣言が採択されたわけです。それから11年後の1959年には子どもの権利宣言(児童の権利宣言)という宣言が採択をされました。その20周年であります1979年に「国際児童年」というのがありました。この「国際児童年」をきっかけに、子どもの権利条約をつくる必要があるのではないかという議論が国際的に始まったわけです。10年間の時間をかけて、ようやく1989年に子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)ができたわけです。

子どもの権利条約ができてから、それまでの宣言が採択されてからの30年とは全然違う動きが出てきたと思います。子どもの権利条約という、国際法上の法律ができたことによって、国際的にも、それから多くの国でも、非常に大きなうねりが生まれたと思います。子どもの権利は大事なものであるということ、子どもたちがよりよい生活を送れるようにするために、私たちは何とかしなければいけないという認識が世界的に広がったという意味では、子どもの権利条約は非常に大きな意味があったと思います。

そして、今まで「うちの子どもには関係ないよ」と思っていた人たちも、「やっぱり子どもたちのために何かをしなければいけない」という認識が強まってきたと言えると思います。いろいろな問題がありますけれども、例えば、子ども兵士の問題です。戦争に参加させられている子どもたちを守るために、国連の安全保障理事会も何かをしなければいけないのではないかということで、安保理も取り組みを始めています。

それ以外の、児童労働の問題、あるいは子ども買春とか子どもポルノの問題、人身売買の問題というさまざまな問題についての条約がつくられたり、新しい宣言がつくられたり、行動計画がつくられたりもしています。

そして、昨年の十二月、これは国連で障害者権利条約、「障害のある人の権利に関する条約」という条約もできました。もちろん、障害のある子どもの権利についてもそこでいろいろと述べられています。障害のある子どもというのは、子どもたちの中でも最も取り残されやすい存在であると思いますが、そういう子どもたちの権利というのも、きちんと保障しておかなければいけないという趣旨で、条約がつくられたわけです。

子どもたちのために何をしなければいけないのかは、もう大体わかっております。こういうことをすれば、世界の子どもたちの状況は、随分よくなるはずということ、それは、もう既に大分わかっているんです。ですから、今度はそれをどう実行に移していくかが課題として残されていると思います。各国のリーダーたちが世界の子どもたちに対して、いろいろな約束をしてきました。リーダーに約束を確実に果たさせるために、私たち市民が何をしていけるのか。それが一つの課題として残っているのだろうと思います。

もう一つ、子どもの権利条約の大きな特徴としては、子どもたちの声を聞かなければいけない、子どもたちの参加を保障しなければいけないという規定があります。そのために、世界的にいろいろな取り組みが進められているということは、ゴータムさんも先ほどお話をしてくださいましたが、それでも、まだまだ十分ではないということです。ほんとうの意味で、子どもたちの声を聞くこと。そして、いろいろな問題を解決していくために、子どもたちとともに取り組んでいく。それを意味のある形で進めていくことが、一番の大きな課題かなと思っています。そうやって、子どもたちの声を聞くこと。そして、子どもたちとともに取り組んでいくことによって、ほんとうに一番いい形で子どもたちの問題を解決していける。そのための道が開けていくのだろうと思っています。

アグネス:ありがとうございます。要するに、みんな、守ろうという気持ちが法律になって、それによってみんなが認識して。

平野さんのお話を聞いていて思ったのは、政府に約束させたことを実行させるために、私たち市民は、何をすればいいのかという言葉ですよね。まずは自分のアクションなんだということを実感しました。ありがとうございます。

では、東郷さん、なぜ子どもたちは取り残されたのでしょう。こんなに私たちは経済が発展して、グローバルに、富というのは増えているはずです。そうであれば、みんながもう少しよくなっているはずじゃないと考えるのが普通ですよね。

東郷良尚(財)日本ユニセフ協会副会長
(以下東郷):
誠におっしゃる通りなんですけれども、そのためにはグローバリゼーションの性格と、その推移をもう一回ここで振り返ってみなくてはいけないのではないかと思うんです。

グローバリゼーションというのは、もちろん戦前にもあったんですが、主としてヨーロッパ等からアメリカへの人の大量の移動、これはグローバリゼーションの一つのはしりではあったわけです。にもかかわらず、実際に、大きな経済的な流れとして起こったのは50年代から80年にかけてです。この間に、日本が非常に大規模な形で輸出攻勢を外国に対してかけました。この貿易と関税の再構築という形で協定ができて、世界のグローバライズ化、経済のグローバライズ化というのが、そこではっきりとできてきたわけです。このグローバライズ化は、ヨーロッパと北米と日本という三極の間に決められたことであって、途上国はこの段階では全くそこに参加していないのです。逆に、一次産品の輸出は先進国の輸入障壁に遭って、非常に困難を極めるようになった。それから、投資が全然途上国に入ってこないという状況が生じました。

この30年間に、グローバリゼーション、経済のグローバル化というのがほぼでき上がってしまったんです。したがって、途上国がまずそこで置き去りにされたという事実があります。

それに、最初にグローバライズ経済に参加してきたのは、79年の中国なんですが、それをはじめとして、大体80年代に24の国がグローバル経済に参加するようになりました。これは、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、中国、インド、マレーシア、ハンガリー等々の24の国々なんですが、これは参加する意思があり、そしてまた、それなりの地理的な環境とか、インフラとかいうものがそろった国です。この中にインドと中国を含みますので、人口でいえば約30億人がここに入ります。しかし、この段階でどうしてもグローバライズされた経済に入り込めなかった国というのが、残りのほとんど100以上の国々なんです。これらの国の人口というのは、全部で20億人ぐらいになるわけなんですが、このグローバリゼーションの枠の外に置かれた国、これを「ペリフェリ」、つまり、「周縁化された国」と呼ぶわけですが、これには二通りの帰結があるのです。

一つは、その国のガバナンス、インフラというものが全く整備されないままに、ある意味では参加の機会を失ったというところ。もう一つは、例えば、アフリカの内陸部にあるような、輸出をしたくても、単に先進国の関税障壁とか、そういう物の額以上に輸出そのものに非常に輸送費がかかるとかいう、ほかのやむを得ない理由で輸出ができないような国があるんです。しかも、アフリカの国などは、希少金属であるとか、オイルなどの産出地域が、ある程度偏っておりますので、そういうところから内戦の危機というのが非常にあります。ですから、国家的な支出が高くなってきているという問題があります。

したがって、こういう理由によって、遅れた、ないしは、取り残された。そこに取り残された子どもが現れてくるという問題が、まず一つあります。

もう一つの問題は、グローバライズされた、先に申し上げた24の国、それに参加した国の中において、二重構造ができているということがあるのです。中国の例を見れば、一番よくおわかりになると思うんですが、東側の沿海州にあたるような省と、内陸の省、そして、もっと西のほうのウイグルから南の、少数民族のいる地域との間の経済格差というのは、ほんとうに大変な格差があるのです。

インドの例でいいますと、インドも世界で二番目に人口が多いわけですが、例えば、州でいいますと、ケララ州がかなり開けた州とされています。一方で、ビハール州はユニセフも特に力を入れて女性の識字教育を今でも続けているのですが、その地域の貧困指数で見ると、大体二倍の違いがあります。インドは、特にそういう格差というのは前からあるんですが、非常にはっきりとあらわれてきています。

ちなみに、貧困指数で言いますと、90年代に中国は29%に下がった。それにもかかわらず、インドの場合は、アグネスさんの報告にもあったと思うんですが、52%がまだ一日一ドル以下の生活をしているという状況です。従いまして、どういうところにほんとうに助けを求めている子どもたちがいるかというのが、こういうところからはっきり浮かびあがってくると思うんですが、要するに周縁化されてしまった国、そして、ある程度進展したが国内に取り残されている子どもたちがいるということであります。

しかも、申しわけないし、いけないと思うのは、日本のグローバリゼーションがかなり大きな原因というか、原動力になってきたことです。そのおかげで、今我々は繁栄を持っているということなのです。そういう現状から、途上国の子どもたちを助けるのは、ある意味では我々の義務ではないかなと思うわけです。もちろん、彼らの権利を守るという観点もありますが、日本としての義務もあるのではないかと思っています。

アグネス:ありがとうございます。グローバリゼーションというのは、国と国の間の格差も生んだし、国によっては、国の中で格差を生んで、結果としては子どもたちが取り残されている現状がある。なかなか日本の中では格差になってきた、なってきたと言われているのですが、ほんとうの格差は日本で言われているような格差ではないのですよね。

一方はほんとうに豊かで、一方は食べられないという格差を、いろいろな地域で見てきました。今でも、一千万人近くの子どもたちが毎年5歳になる前に死んでしまうのです。ユニセフはよくこの数字を使って、どの地域が一番助けを必要としているのかを分析しているのですが、実は、300万ぐらいの子どもたちは南アジアにいるのです。そして、大体、500万ぐらいの子どもたちはアフリカ、サハラ以南です。だから、どこで子どもたちが取り残されているかはほんとうに一目瞭然という感じがします。

さっき、平野さんも紹介してくださったのですけれども、J8という活動がありましたね。世界の先進国首脳会談、その近くで子どもたちの声を聞こうということで、ジュニアエイトサミットということで、いろいろな国から子どもたちに来てもらって、話をしてもらっているのです。それが始まったのは2005年で、2006年の日本代表が今日来てくれているのです。

では、子どもたちが感じる、考える、世界の子どもたちが今どのような状況なのか、自分たちがJ8でどういう話をしたのか報告していただきたいと思います。よろしくお願いします。

銭亀まりあ(以下銭亀):こんにちは。私は、都立国際高校に在学している高校三年の銭亀まりあといいます。

私たちは去年の夏、2006年に、ロシアのサンクトペテルブルクに行って、J8(ジュニアエイト)サミットに参加してきました。その中で、私たちが話し合ったことで一番問題になったのは、先進国でもそうなのですが、開発途上国で、伝染病だったり、いろいろなことに対するもっと的確で正しい情報を、いろいろな人に伝える必要があるということが、一番大きな話し合いになりました。

私たちは話し合いの中で、J8各国だけではなくて、4つの開発途上国の子どもたちと一緒に、医療カンファレンスのなかで話をする機会がありました。そこで私が話したのは、アフリカの子だったのですけれども、印象に残ったことは、アフリカではHIV/エイズの検査ができるように、ユニセフやほかのNGO団体の方が、いろいろな活動をしているのですが、みんなその検査を受けたがらないという話でした。

アフリカではいまだにエイズに関する偏見があって、そのために自分の結果が人に伝わってしまうことをとても恐れていることから、みんな絶対に検査を受けたくないと言っていました。

私はJ8サミットを通じ、世界中に友達ができたことが、世界に目を向けるきっかけになったと、とても感じています。もし、私がたくさんの国の子たちに出会わなかったら、今までは他人事のように感じていた世界のニュースなども、友達がその国にいるということだけで、自分の国のように思えることに気づいたのです。そこで、私たちはもっと他国の子どもとのつながりを持つべきだと、強く感じました。

インターネットや本などで調べること、そして、テレビで見ることとは全く違って、生の声を聞くということが、とても自分を変えると思いました。友達をつくることは、今、世界中で問題になっている戦争だったり、環境だったり、子どもの貧困の問題だったり、すべての問題につながるということが感じられました。

J8サミットに行ったことは、一つのスタートで、J8サミットに行ったことによって、世界に興味を持ち、いろいろなことにつながりを持てるようになりました。今日のシンポジウムにお招きいただいたように、このようなたくさんの人々の前で意見を話すことのできるきっかけをいただけたのもJ8サミットに参加したからです。

その中で、私はNGOのいろいろな行事やシンポジウムなどに参加してきて、感じたことなのですが、日本のNGOはもっと国民に自分たちのやっていることを伝えていきたいとか、今、世界で起こっていることを日本の国民に伝えていきたいと強く言っていたのですが、その中に「子どもに」という言葉が一言も含まれていなかったことに、とても疑問を持ちました。今からの世界は子どもである私たちがつくっていくもので、今のうちからいろいろなことを知っていくべきなのは、やはり子どもだと思うのです。その中で、子どもに伝えようという意識をもっとおとなに持ってもらいたいなと、とても感じました。

そして、ほかの国でもそうなんですが、子どもが自己の表現をできる場を、これからもっとたくさん設けていくことがとても必要だと、J8に行って感じました。

アグネス:自分たち子どもの声はみんなに聞いてもらいたいし、ほかの子どもたちの声も聞きたいですものね。ユニセフはいつでも聞いていますから、何か話したいときは、ぜひ私たちに。私たち、ユニセフは、日本国内でも、学校に対して一生懸命活動しています。子どもたちに世界の子どもたちのことを知ってもらいたいのです。そのことによって、いろいろ変わるかなって、長期的な考えなのですが、とても大切だと思うし、全く同じ意見です。今、私たちの思う大切なことを話してくれて、すごくうれしかった。ありがとうございました。

さて、皆さん、お待たせしました。私の子どもが小さいとき、テレビでのっぽさんを見ました。高見さん、来てくださってありがとうございます。今まで、基調報告をはじめ、いろいろな方のお話を聞いて、ぜひ意見を聞かせてください。

 

高見のっぽ(以下高見):まず、そこのかわいいお嬢さんたちに敬意を表したいです。私は、それを控室で、平野先生に、学校で子どもたちにどういう形でこういう権利がきちんとありますよということを、みんなに教えているのか、それから、ある意味では討論が行われているのかどうかを、さっきお聞きしたんです。

アグネス:先生、どうぞ。個人的な話でしょうけれども、私たちにも教えてください。お願いします。

平野:先ほど、高見さんにお答えしたのは、一般的には日本の学校というのは、子どもたちに、「あなたにはこういう権利がありますよ」ということをきちんと教えたがらない。そのことで学校が混乱するのではないかという恐れを持っている人がまだまだ多いというお話をしました。

高見:確かに、そこに権利があれば、そこに責任もあるし、義務もあるということを、ほんとうに小さい人たちに、ある意味では大きい人間がお話をしあう。こういう形で大きい人間たちは、権利というものを君たちに保障しましたが、これは大変失礼ですが、こういうのをこしらえなければ、これからの世の中あなたたちが大変なことになります。いや、日本のあなたたちは大丈夫かもわかりません。でも、そうしなければならないくらい世界が非常に悲しいことになっていますから、こういうものを作ったことについて、あなたはどんなふうに考えられますかということを、ほんとうはおとなが小さい人と話し合いをするべきです。

アグネス:ほんとう、そうですよね。

高見:僕は小さい人が好きですよ。

アグネス:のっぽさんは子どもという言葉を使わないのです。小さい人と言うんです。

高見:そうです。だって、物理的に大きいのと小さいだけであって、人格的には当然同じでしょう。私の場合は、賢さもみんな同じだと思っていますから。

アグネス:そうすると、きょうのタイトルは、「小さい人 権利条約」と言わきゃいけないんですね(笑) 高見:(笑)でも、ほんとうはこういうものがない世の中がいいのだけれども、これを必要とする世の中になってきたことは、ある意味では悲しいことですよね。ぼくらのときには確かにこういうものがなかった。でも、その中で例えば理解のある大きいおとな、あるいは理解のない大きいおとなと闘いながら——でも、飢えはしなかったし、病気で死ぬことはなかった。今はそんなことは言っていられない世の中だから、こういう権利も必要でしょう。

ちょっと話が変わるのですが、戦争のことをおっしゃいましたよね。あの40条の条約の中には、18歳までを子どもとするとありますよね。ところが、15歳までは戦争には出さないということは、16歳から戦争に出していいわけですか。

平野:子どもの権利条約ではそうなっているのです。15歳から戦争に参加をさせることもできる。あるいは、軍隊に強制的に入れることもできる。

子どもの権利条約ではそうなっています。条約をつくるときにそこで意見がすごく分かれたからです。ただその後、ゴータムさんもおっしゃいましたが、また別の選択議定書という条約がつくられまして、そこでようやく18歳ということになったんです。18歳になっていない人は戦争に参加させてはいけない。あるいは、軍隊に無理やり入れてはいけないんです。

アグネス:ただ、それはまだ賛成していない国があるのでしょう?どの国ですか。

平野:アメリカは、子どもの権利条約そのものは賛成していないんですが、その選択議定書は賛成しています。

アグネス:日本はどうですか?

平野:日本はもう賛成しています。

高見:それ自体もほんとうに悲しいことです。戦争なんかは、20になっても、30になっても行かないほうがいいわけですから、とても悲しいと思います。

アグネス:私はたくさん見てきましたよ。子どもの兵士を。小さい子は8歳とか、10歳だったりするんです。

高見:さっきアグネス・チャンさんがそこでインドの子どもたちのことをお話になって、写真を見せてくれましたよね。僕は小さい人が大好きですから、例えばテレビなどでそういった子どもたちの姿を見たときに、ほんとうはいつも泣きません。泣きませんけれど、一人でみれば、必ず涙がこぼれます。そして、見ていられないから消して、消した瞬間から、これを消す自分はどうしようもないなと思ってしまうんですよ、ほんとうに。

だから、今日はそこでずっと聞いていました。そうすると、一体僕はどうすればいいんだろうかと必ずそう思います。ほんとうに。小さい人が好きだし、大きい人間は小さい人をしっかり守らなきゃいけないんです。しっかり守ることができない世の中が実際にあるということがものすごく悲しい。でも、悲しいから現実を直視することができないと言っている自分が、ある意味ではものすごく嫌なんですよ。

アグネス:わかります。子どもたちを助けてあげたい、大好きだし、だけど、苦しんでいる姿を見るのはもう耐えられないからつらいんですね。

高見:耐えられないんですよ。だからといって、それをそうやって見つめられない自分というのは、やっぱりよくはないなと思うところもあります。

アグネス:その気持ちわかります。私、最初にアフリカ行ったときは、もうほんとうに目の前で人が死んでいくのを見ました。骨と皮しかない子どもが歩いているんですから。バタバタ倒れていく姿に、そのとき、もう目をそらしたい。でも、やっぱり目をそらさない。抱っこして、キスして、一緒に時間をともにしたことによって、なんだか子どもたちが一生分の勇気をくれたような気がします。

そのうちに、「もう大丈夫だ、私、どこ行っても怖くない」と子どもは教えてくれたんですよね。だから、きっとのっぽさんもなれます。大丈夫。なれます。

高見:でも、年をとったから、アフリカの子どもたちのもとへ行くまでに死んじゃうんじゃないかと思って(笑)

アグネス:大丈夫ですよ。年をとると涙もろくなってしまうの、わかりますよ。私だってそうだもの。

高見:そうですか。

アグネス:うん。でも、絶対に、その子どもたちがくれるその勇気というのは、すごいパワーがあります。もうあれから、どこ行っても怖くないです。伝染病があるところだろうと、戦火の真っ最中であろうと、何を出されてもおいしく食べちゃうし、ちっとも怖くないんです。それは、あのアフリカの子どもたちが私にくれた勇気。子ども、あっ、子どもって言っちゃいけないのかな。「小さい人」ですよね。

高見:いやいや、よろしいですよ。

アグネス:いいのですか?子どもはほんとうに魔法です。私はほんとうにそう思います。マジカルだと思うんですね。

高見:もうひとつ平野先生にお聞きしたいのですが、おちびさんに対しては、両親は責任を持って、優しく育てなければならないはずなのに、この条約の中に、おとなという言葉が入っていないのが、私にはすごく気にかかるんです。

平野:そうですね。条約というのは、国と国の約束ごとなんです。だから、国が何をするかというのを決めるのが条約の役割なんです。もちろん親の責任についても書かれています。ただ、それは条約で親に責任が課されるのではなくて、親にこういう責任を課しますというふうに国が約束をして、国がみずからの責任において、親に責任を果たしてもらう。果たせるように支援していくということです。ただ、親の責任といっても、これはあくまでも、第一義的な責任なんです。だから、まず最初に、子育てについては親が責任を持つけれども、親だけではない。

アグネス:要するに、国が責任を持つ、国は何なのかというと、私たちなんですよね。国というものは、私たちがつくったものだし、私たちは国民ですから、私たちが子育てするということですね。

写真:© 日本ユニセフ協会

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