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財団法人日本ユニセフ協会
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『第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する世界会議』

「第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する世界会議」開催
〜リオへの道のり〜


執筆:エクパット・インターナショナル ロン・オグレディ

2008年11月25日から28日にかけ、「第3回子どもと青少年の性的搾取に反対する世界会議」がブラジル・リオデジャネイロにて開催され、約170の国から各国政府代表、国際機関、NGOや市民団体、民間企業そして若者など3,000人以上が参加しました。

この世界会議は、第1回目が1996年スウェーデンで「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」として開かれました。でも、そこに至る道のりは決して平坦ではありませんでした。そもそも子どもの商業的性的搾取の問題は、1970年代のベトナム戦争に端を発します。

18から20歳の若者が多く駆り出されたベトナム戦争。士気の維持のために、兵士には特別休暇が与えられ、その休養先として地理的に近いタイが人気となりました。当時まだ貧しかったタイのバンコクでは、米ドルを落とす兵士たちを目当てにナイトクラブや売春宿が乱立します。そこで働く女性たちは、両親が一生かかって稼ぐお金よりも多いお金を稼ぎ出したのです。 ベトナム戦争が終わっても、今度は、多くの男性観光客がタイに流れ込み続けました。日本、ヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、ほかのアジアの国々から、「性」を目的とした人たちが・・・。そうした人たちの中にいたのが子どもを性虐待する人たちでした。こうした人たちは警察沙汰を嫌がり、バンコク中心部ではなく、バンコクの南の海岸に近い家を拠点に、商売を広げていったのです。

こうした流れの中で、外国人による子どもへの性的虐待の事例が事件として報道されるようになりました。1984年にはタイ南部で、売春宿で5人の幼い子どもたちが焼け死ぬ事件が起こります。ベッドにくくりつけられていたために火事から逃れることができずに焼死したのです。売春宿に子どもを売ってしまう親の話も後をたちませんでした。実態を把握したいという非政府組織や教会組織が1990年にチェンマイで調査を実施。政府と国連関係者にショッキングな報告がもたらされました。その内容は16歳未満の子ども推定100万人が、アジアの国々の町や都市で性的奴隷になっているというものでした。子どもを相手にしたセックス・ツーリズムが増加していることも明らかになりました。

この事態を何とかしようとして作られたのがECPAT(End Child Prostitution, Child Pornography And Trafficking in Children for Sexual Purposes本部事務局はバンコク)でした。その活動を通して、子どもを相手にしたアジアでのセックス・ツーリズムの存在が知られるようになり、多くの人たちがその根絶のために動き出しました。

しかし、「声」による賛同は得られるものの、根絶のための「活動」になかなか結びつきませんでした。そして、その間にも、子どもの商業的性的搾取はアジアで、そして世界で、大きな産業となりつつあったのです。

声だけでは根絶は不可能。「行動」に結びつけねば・・・。国際的な犯罪に対処するため、多くの政府が一堂に会す場が必要となりました。政府、非政府組織も集まれるような世界会議ができれば、と私たちは考えました。そこで、子どもの商業的搾取問題に関心を示してくれそうな国をホスト国にして会議を開催することにしたのです。子どもの問題に関心が高いスウェーデンが真っ先に候補として挙がりました。スウェーデンは打診を受けたその日に快諾。1996年に「第1回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」がスウェーデンのストックホルムで開催されました。参加国130、122の政府が公式代表を送り込みました。この会議では、各国に、子どもポルノ、性目的の子どもの人身売買、子どもの商業的性的搾取を根絶するための「行動計画」の立案を呼びかける決議を満場一致で採択しました。4年の間に100カ国の政府がこの課題に取り組み、各国独自の行動計画を準備し、2001年に日本の横浜市で開催された「第2回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」(通称「横浜会議」)で発表されました。

横浜会議には、134カ国から公式の代表団が参加。子どもの性的搾取根絶に向けた行動に対する断固たる意思がより強く現れた会議となりました。ここで問題になったのがインターネットによる影響の拡大。グローバル化した世界では、国境を超えた地球的規模の協力が必要となっており、横浜会議はその課題を話し合う恰好の場となりました。

しかし、スウェーデンでも日本でも、当時はこれらの問題を監視するためのメカニズムも、資源も提供することができませんでした。

第3回世界会議となるブラジルのリオ・デジャネイロでの会議では、性的搾取・暴力の犠牲になる子どもたちの数を減らすため、官民の協力のもと、国境を越えたさらなる行動の必要性が確認されました。「リオ協定」と「子どもと青少年の性的搾取を防止・根絶するための行動計画」が採択されました。国際社会はさらに大きな前進をはかったのです。子どもと青少年の性的搾取根絶への道のりは短くなく、終わりがないように感じられます。でも、努力を惜しまずに着実に歩み続けることが大切なのです。

*本記事は、エクパット・インターナショナルの創設メンバーであり、エクパット・ニュージーランドの評議員であるロン・オグレディ氏の記事を、許可を得て短縮・編集の上掲載しております。

 ブラジル会議開催前の原文はこちらのページをご覧ください(英文)。(PDF 186.2KB)