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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

<2005年3月18日掲載>

べスラン学校占拠事件での被害者に対するユニセフの支援
<ロシア>


襲撃を受けたベスラン第1小学校の教室 6カ月前の2004年9月1日の早朝、重装備をした約35人のテロリストが、ベスラン第1小学校に平行して走る線路の近くの道にトラックを停めました。そして素早く飛び出して広場を横切り、新学期の始業式のために校庭に参列していた子どもたちとその両親を一瞬にして襲撃しました。

 テロリストは地元の人々12人を撃ち、生徒、教師、父兄およびその他の関係者を含む推定1,300人の人質を学校の体育館に閉じ込めて脅しました。その中で人々は2日間食べ物も飲み物もない状態におかれたのです。

 9月3日、依然として状況が明らかにならない中、爆発音が体育館中に響き渡り、混とんとした中で銃撃戦の口火が切られました。中には、呆然としている人質に銃を向け、壊れた窓やドアから逃げようとする人々に発砲したテロリストもいました。

 数時間後に銃撃戦での煙が晴れ、約330人の人質(その約半数が子ども)の命が犠牲となり、約700人の人質がけがを負っていることがわかりました。そのうち約300人が銃による傷や、重度のやけどなど命にかかわるけがを負っていました。地元の病院はすぐにいっぱいになったため、多くの被害者は、ベスランから車で30分の地方の中心地であるウラジカフカスにある北オセチアの小児科病院に運ばれました。

 その病院の医者たちは北コーカサス地方でももっとも優れたお医者さんであり、チェチェン紛争の被害にあったたくさんの子どもの治療にあたってきた人たちでした。その人たちが、増えていく一方の負傷者に対処しようと果敢に奮闘したのです。

 「この事件はテロの歴史を変える大きな事件です。かつてはこんなに多くの子どもたちがテロの標的になることは決してありませんでした。さらに一時間の間に200人以上のけがをした子ども達が病院に運び込まれ、最終的にその日に運び込まれた子どもの数は270人にものぼりました」と、ウラジカフカスの小児科病院の主任医師であるウルツマ・ジュナエフさんは話します。

 「命を落とした人たちそれぞれが悲劇としかいいようがありませんが、ひどいけがを負った子ども達が多くいる中で、死亡者を4人にとどめることができたことには達成感を感じています」

 ベスランの子どもたちは食べ物や飲み水もないまま2日間以上耐えなければなりませんでした。子ども達はショック状態にあり、煙を吸い込んで体力を消もうしていました。ほとんどの子ども達はひどい打ぼく傷を負い、銃弾や爆発の破片による傷、そして体育館の天井が崩壊した際の傷を負っています。

 このような非常事態に完全に対応できる備えのある病院は世界でもほとんどなかったでしょう。熱意のあるオセチアの医師や看護師の努力と能力のおかげでたくさんの人々の命が救われましたが、けがによる合併症が増えて、医薬品はすぐになくなってしまいました。

 ユニセフは、他の組織とともに、早い段階で特に必要とされる支援の提供へと踏み出しました。9月3日に事件の悲惨な状況がはっきりすると、ウラジカフカスのユニセフのスタッフは大急ぎで現地の病院へ送る医薬品を集めました。

 その後、ユニセフは包帯、注射器、薬、マットレス、シーツ、毛布のほか、生命維持に必要な人口肺など、以前は病院が買うことができなかった装置を支援しました。

 ジュナエフさんはとても困惑したように語ります。「多くの子どもたちが大量に出血をしていて、マットレスは血でびしょびしょになっていましたが、それを洗うことすらできませんでした。事件の最初の日、病院の医師たちは110人もの子どもたちの手術を行いました。血で汚れたマットレスなどはすぐに捨てて新しいものと取り替えなければなりませんでした」

 ロシアの外科医のトレーニングは第二次大戦時の経験を生かしたものであるため、異常事態での訓練を十分に受けています。迅速に診断し、銃の傷の重傷度を判断し、適切な処置を行います。しかし外部の支援がなければ、状況はもっとひどいものだったでしょう。

 「私達の医師や病院は十分な能力をそなえ、すばらしい治療を行っていましたが、ユニセフの支援なしではそれも困難でした。このような支援がなかったら、私達はどうしようもなかったでしょう」ジュナエフさんは、広い診療所で椅子に座りながらこう語りました。

 ユニセフは命にもかかわる外傷にも注目しましたが、スタッフには、これが始まりにすぎないこと、そして精神的、情緒的な心の傷にも対処していかなければならないことが分かっていました。

ベスラン第6小学校にて。子どもたちはユニセフが支援した机やイス、教科書などを使って勉強を続けている。 「生き残った子どもたちが今向き合わなければならない最悪の問題は、心に負った深い傷です。このトラウマ(心的外傷)は長い間続きます。リハビリは長期にわたり、少なくとも1年はかかるはずです」ジュナエフさんは力をこめてこう言いました。

 その課題の一つとして、子どもたちを学校に戻すことがあげられます。ユニセフはベスランのすべての学校に対して新しい机や椅子、教科書、コンピューター、おもちゃ、ゲーム、黒板やその他需要の高い資材などの必要不可欠な物資の支援を行っています。これは、できるだけ学校の受け入れ体制を整え、楽しい場所に戻すための支援です。

 「ユニセフスタッフは私達の親友です。彼らに会うといつも幸せになります。ユニセフは常に私達が何を必要としているかを聞き、テレビ、ステレオ、テーブル、椅子、そしてクラスの子ども全員の教科書など、すでに多くの資材を支援してくれました」ベスラン第1小学校が現在授業を行っている第6小学校の理事長は話します。

 今、ユニセフは、将来的にこの悲劇から何かを得ることができればと期待しています。ベスランの子どもたちは、紛争の多い北オセチア、イングーシ、チェチェンやダゲスタンなどの諸ロシア共和国をまたいで平和教育を行うという、ユニセフの意欲的な新プロジェクトの中心にいます。

 学校占拠の被害を受けた第1小学校から、この悲劇によって影響を受けたより広い範囲のコミュニティまでのベスランの全ての子どもたちがそのプログラムの対象となります。そしてこのスキームではさらに今後、地域全体の20万人の子どもと1,000人の教師が対象となる予定です。

 教師や生徒のボランティアと一緒に活動することができるよう、指導者をトレーニングし、授業や日々の生活の中で、寛容性や人権などの原則をどう教えたら良いか、ということを学びます。民族や文化の違いを超えて子どもたちが交流する一連のイベントも予定されています。例えば若者主催のフェスティバル、平和キャンプ、美術展やコンテスト、また地域間の交換交流ツアーです。また、平和と寛容についての意識向上キャンペーンをテレビや新聞を通して行います。

 平和教育は、学校教科書や薬よりも効果が目に見えにくいかもしれません。しかしこれは絶対に必要不可欠な支援なのです。まずは6カ月、それぞれの地域社会が別々にあるのではなく、互いに協力していける体制の確立に取り組んでいく。これがユニセフの取り組みです。

2005年3月3日
ユニセフ・モスクワ事務所

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