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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたちは今 報告会レポート

アグネス・チャン日本ユニセフ協会大使
インド視察 帰国報告記者会見

■日時
2007年6月26日(火)14:00〜15:30
■場所
ユニセフハウス1階ホール

インドは近年のIT産業などの躍進から著しい経済成長を遂げましたが、その一方で、11億の国民の3人に1人は、いまだに1日1ドル以下の貧しい生活を余儀なくされています。

こうした「持つ者」と「持たざる者」との格差と、今日的な貧困問題の縮図となっている場所の一つが、アラビア海に臨む商業都市ムンバイ(ボンベイ)だと言われています。市民人口の半数あまりを占める貧困層の多くが住むスラム地域では、「貧困」が幼い子どもの命を奪い、教育の機会を奪うという、従来から存在した「負の再生産」の問題があります。

経済発展の谷間に取り残されたスラム地域の状況と、貧困が子どもたちの命や日常生活、そして未来に与える深刻な影響・状況をアグネス・チャン大使が視察、ご報告しました。

テレビ放映等のご案内

アグネス大使が、インド視察で見た現地のもようをお伝えします(放映日時は局側の都合により変更される場合がございます)

■NHK教育テレビ 視点・論点「ムンバイ・経済発展の谷間で」
 2007年6月27日(水) 22:50〜23:00
 再放送:6月28日(木) 午前4:20〜4:30

■NHK BS1 BS特集
 2007年8月19日(日)

■ソフトバンク・チャリティダイヤル(通話料がユニセフ募金になります)
 >> 詳しくはこちら
 2007年7月

■視察日程

◆ 6月16日(土) 訪問先  
-ソナプルガリ・スラム(パンドウ地区。いわゆる「赤線」地帯)を視察  
-マカラワ・コンパウンド(街区)スラム(クーラ地区) 学校に通うのを諦め、家出した母のかわりに子どもの面倒をみるプジャ(14歳)に出会う
-パンジャルパラ・スラム
(クーラ地区)
児童労働の実情などを視察
◆ 6月17日(日) -ネルナガール・スラム
(東サンタクルス地区)
児童労働の実情などを視察
-ゴリバー・スラム
(東サンタクルス地区)
HIV陽性の父を持つチャンダン(13歳)の家を訪ねる
-バラート・ナガール・スラム
(東バンダラ地区)
重度の栄養不良の赤ちゃんがいる家族を訪問
-LT駅 ストリートチルドレンが多いエリアのひとつ
-ハジ・アリ(ボンベイ中央地区) ストリートチルドレンのリンクー(13歳)と出会う
◆ 6月18日(月) -V.N.シロドゥカール病院
(東ビレ・パーレ地区)
スラムの人がよく利用する病院を訪問。妊婦へのHIVカウンセリングや乳児の予防接種が行われている
-マカラワ・コンパウンド(街区)
 スラム(クーラ地区)
プジャに再び会いに行く
◆ 6月19日(火) -マハラクシ駅、海岸沿いを視察  
-ハジ・アリ(ボンベイ中央地区) リンクーと再会
-マリアマ・ナガール・スラム
(ウォーリ地区)
リンクーの家を訪問
◆ 6月20日(水) -ネルナガール・スラム
(東サンタクルス地区)
デイケアセンターを視察。
-ハジ・アリ(ボンベイ中央地区) リンクーと再会
◆ 6月21日(木) -ゴリバー・スラム
(東サンタクルス地区)
チャンダンと再会
◆ 6月22日(金) -バラート・ナガール・スラム
(東バンダラ地区)
栄養不良の赤ちゃんがいる家を再び訪問。

■アグネス大使からの報告

空港近くの丘の上にあるパンジャルパラ・スラム(クーラ地区)

ムンバイは古くから栄え、人口1,400〜1700万人といわれるインドの中でも大きな街。インドの中では、「夢の街」と呼ばれることもある街です。

私たちは、持てる人と持たざる人の間に広がる格差が世界で深刻化している中、繁栄の陰で子どもたちはどんな生活をしているのか? それが知りたくて、“urban poor”、すわなち都市圏に暮らす貧しい人々の生活を自分の目で確かめるためにムンバイを訪れました。

ムンバイの概況

インドには4億人以上の子どもがいますが、出生登録されているのはその中の35%にすぎず、65%は出生登録されていません。小学校を卒業できる子は25%。47%の子どもが栄養不良をわずらい、そのうち5%が死んでしまいます。インド全体の人口のおよそ半分が1日1ドル未満で暮らす貧困層です。そういう状況のなかで、子どもたちはどのような生活をしているのでしょう?

私が抱いていたムンバイのイメージは、IT産業などが栄え、企業も進出している、バンコクや香港などのような街でした。でも、実際は違っていました。高層ビルがいくつかありますが、その間にはスラムがカーペットのように広がっていました。

ムンバイは3つの地域に分かれています。南はSouth Bombayといい、街の中心になっています。そして北部が2つにわかれ、郊外になっていて、そこにスラムがあります。ムンバイの人口の75%はスラムに住んでいるのです。このうち50%は政府に認められていますが、あとの25%は違法状態でスラムに暮らしています。

スラム街は一時的なもので、いつかは無くなるものだと考えがちですが、ムンバイのスラムでは、何代もの人々がそこに暮らしつづけ、定着しているものです。そして、スラム街の中でも格差があります。昔からあるスラムでは、レンガを積んだコンクリート造りのような家があり、電気が通っていたりトイレの近くに水がある、比較的状況の良いスラムもあります。しかしその一方で、道端に木を立て、ビニールシートを張って住んでいる人々もいました。さらにスラムの区域に入れず、夜になると路上や駅で寝ている人たちもたくさんいました。

私たちは合計7つのスラムを訪れ、それぞれのスラムで、インドがいま抱えている問題、子どもたちを苦しめている問題を象徴する人々に出会いました。

スラムで出会った子どもたち

プジャの手を取るアグネス大使
アグネス・チャン大使に「父親の暴力で母親が逃げてしまった」と告白するプジャさん(中央)

最初に出会ったのは、マラカワ・コンパウンドスラム(クーラ地区)というスラムで出会ったプジャ(14歳)です。お酒に酔った父親の暴力に耐えきれなくなった母親が故郷に逃げ帰った後、プジャは年下のきょうだいの面倒をみるために学校をやめさせられました。お母さんがいないため、プジャはいつもおびえています。いつもお父さんにぶたれてしまうのです。女の子はぶっていい、学校に行かせなくていい、家事をすべてやらせていいと考えられています。男の子には求められないことです。女の子として生まれることは、やはり不利なのだと思いました。

チャンダンくん(13歳)

次に私たちは、ゴリバーというスラムで、父親がHIVに感染している少年、チャンダンに会いました。4年前、チャンダンが9歳、お姉さんが13歳のときに母親が亡くなり、父親は家を出てしまいました。子どもだけの家庭になってしまったのです。それ以来、チャンダンがきょうだいの面倒をみています。彼は学校をやめ、毎日スラムの外のハイウェイの下に止まっているリキシャを洗ってお金を稼ぎ、生計を助けています。1台洗うと10ルピー(約30円)になります。

バイクを洗うチャンダンくん
バイクを洗うチャンダン少年=ゴリバー・スラム(東サンタクルス地区)

しかし、インドでは児童労働が法律で禁じられているため、チャンダンを雇うことは違法です。雇い主は捕まると5,000ルピーの罰金を払わなければならないため、仕事をもらうことがだんだん難しくなっています。それでも、違法と知りながら雇い主が彼に仕事を与えるのは、子どもが働かなければ、家族がたちまち食べていけなくなるということがわかっているからです。ふだんチャンダンは1日に3台ぐらいのリキシャを洗い、稼ぎはすべてお姉さんに渡して生活費の足しにしています。

逃げ出した父親は4カ月前に突然戻ってきましたが、体調が悪く検査をしたところ、HIVに感染していました。そのお父さんに「奥さんが亡くなったとき、なぜ逃げたんですか?」と尋ねると、「子どもたちが重荷だったから」と正直に答えてくれました。

お姉さんがやがて結婚すると、年下のきょうだいの面倒はチャンダンがみることになります。彼はとても勉強したがっていました。夜間学校に半年通うためには、900ルピー(約2,700円)が必要です。家族にとっては大変な金額ですが、ユニセフも支援しているNGOから学費を支援することになっています。学校に通いたがっている子どもはたくさんいました。学校に通えば暮らし向きが多少はよくなる、お金が稼げるようになる。みなそう考えているのです。900ルピーで6カ月も学校に通えます。私たちにも、たくさんの子どもを応援することができるはずです。

ストリートチルドレンのリンクー(13歳)

雨の中、寝る場所を探すストリート・チルドレン=ハジ・アリ モスク付近(ボンベイ中央地区)

もうひとり私の胸に残っている子は、スラム街に住めない人たちの状況を確かめるため、夜の街に出て出会ったストリートチルドレンのひとり、リンクーという農村から出てきた男の子です。

彼は、父親が亡くなり、お母さんが家から逃げ出してしまいました。お姉さんが面倒をみていてくれましたが、結婚してしまい、義理の兄の暴力に耐え切れず、モスクを目指して、3日間電車を乗りついでムンバイに出てきました。モスクでは1日に一回、食事がもらえるからです。

そのムンバイで、仲間ができました。目の見えない70才ぐらいのおじいさんと、ハンセン氏病をわずらう若い男性、そして足の不自由なおじさんです。子どものリンクーは動き回りたいはずなのに、一日中おじいさんのそばにいて面倒をみていました。夜寝るときは4人一緒です。4人で寄り集まって生きている姿に、人間の強さを感じました。思いやる気持ちがあれば、どんな状況でもなんとかなるのかもしれない、そう感じました。

でも、一番危険なのはこうしたストリートチルドレンです。モンスーンの季節になり、屋根のないところで寝起きしていれば、当然病気にかかります。仲間がいても、病気になったときには誰も病院には連れて行ってくれないでしょう。

リンクーに「ふるさとが恋しくないですか?」と聞くと、「恋しくない」と答えます。「逃げたお母さんが恋しくないですか? お母さんのところへ帰りたくないですか?」と聞くと、「恋しくない、帰りたくない」と。「ふるさとには、僕のことを考えてくれている人はもう誰もいないんだ。本当に誰も。だからムンバイに出てきたんだ」。13歳の子がそう言うのです。毎日食べていくために、周囲の人々に頼り、物乞いをしなければいけない。でも、もっと大変な状況に置かれた家族に出会いました。

繁栄の陰で

栄養不良の幼児の体を洗う母親=バラート・ナガール・スラム(東バンダラ地区)

バラート・ナガールという、ゴミや排泄物だらけのちっちゃいスラムに暮らす、父親が28歳、母親が25歳ぐらいの若い家族です。9ヶ月から1歳ぐらいの子どもと2〜3歳ぐらいの2人の子どもがいましたが、2人ともとても小さく、泣きっぱなしでした。

1歳の子は体重を測ってみると4kg。1歳児の平均体重(9.5kg)の半分ほどしかありません。お母さんは1ヶ月で母乳が出なくなり、以来、1日に朝一回だけ、ふつうのご飯を与えているといいます。栄養不良なのです。もちろん歩けません。3歳の子の体重を測ると、やはり平均体重の半分ほどです。1歳ぐらいにしか見えず、3歳になった今もしゃべれません。1日に一度しか食事を与えない理由は、お父さんもお母さんもゴミ拾いや下水道掃除などの仕事に出かけてしまうからです。仕事がある日は1日に50ルピー稼げます。仕事がない日は、ご飯が食べられません。夜帰ってくると、子どもが欲しがればもう一食与えるということでした。

お父さんは、父親と一緒に12歳のときに田舎から出てきて、以来ずっと日雇い労働を続けてきたといいます。28歳になった今も、まったく状況はよくなっていません。もともと別のスラムに住んでいましたが、「家賃」が払えず、そこを引き払って今いる路上に移り住んできたということでした。スラムの中に住む権利を持っている人は、「家」を貸しています。そこを借りて住む人は、家賃や敷金を支払わなければならないのです。

食事のときに、お父さんに「人生の中で何が一番楽しいですか?」と聞きました。するとお父さんは答えました。「何もないです。こんな人生、もう飽き飽きです。楽しいことなんてひとつもありません」と。お母さんに同じ質問をすると、何も答えられず、泣き出してしまいました。母親であれば、子どもの成長が楽しみだとか、こうやって食事をしているときが一番楽しいです、と答えてくれると思っていました。でも、なにも楽しくないのです。お母さんは疲れきっていました。

ムンバイにはお金持ちがたくさんいて、たくさんの富の象徴が見えます。五つ星のホテルも高級ブティックもあります。夢は形としてそこに見えます。でも、そこにたどり着くまでのハードルが高い。たどり着ける人は、いったいどれくらいいるのでしょうか。

スラムの生活環境改善を目指すプロジェクト、マイクロプランニング

移住者用の住宅が完成したゴリバー・スラム(東サンタクルス地区)

こうした状況の中で、スラムの中から状況を改善することを目指す、ユニセフが地元NGOと協力して進めているプロジェクトがありました。

スラムには“Community spirit”、すなわち、皆がひとつになり、内部から状況を良くしていこうという思いがあまりありません。良くしようという思いがないから、状況もだんだん悪くなるのです。“マイクロプランニング”というプロジェクトでは、スラムの人々が誇りを持って環境を改善し、同時に弱い立場に置かれた人々を支えていこうという思いのもと、5日間にわたって衛生面や仕事を見つける方法、お互いを支えあう方法を学びます。さらに若い人たちの中からリーダーを選び、HIV/エイズや衛生、家庭内暴力などについて学びます。

このマイクロプランニングが成功したスラムを訪れ、ナズマさんという28歳の女性と出会いました。夫が日雇い労働で生活が苦しい中、マイクロプランニングの噂を耳にして、プロジェクトへの参加を申し込んだのです。仕事は、自分の家をきれいにし、スラムで面倒をみてもらえない子どもたちを毎日集め、政府が出してくれる食事を一日一食与えるという、デイ・ケアの仕事でした。彼女は選ばれて自宅でデイ・ケアを提供することになり、月に1,000ルピーをもらえるようになりました。彼女の小さな家に、ふだんは20人ぐらいの子どもたちが集まります。彼女はそこで、子どもたちに歌をうたったり、英語のアルファベットを教えていました。

検査をする女性。V.N.シロドゥカール病院にて(東ビレ・パーレ地区)

彼女は3つの仕事を持っていて、朝はデイ・ケアの仕事をこなし、午後には妊婦を指導するグループのリーダーを勤めています。その仕事の中で重要なもののひとつが、妊婦に食事を食べさせることでした。インドの女の子の80%は貧血です。その状態で妊娠・出産すると、子どもにも悪影響が出ます。インドは妊産婦死亡率が世界でもっとも高い国のひとつです。そのため、お母さんの体を作る(栄養状態をよくする)のです。検査を行い、鉄分が足りない、ビタミンが足りないなどの検査結果にもとづいて、4種類あるクッキー(治療用栄養補助食)の中から適切なものをその場で与え、どのくらい食べたかをすべて記録します。単純な活動ですが、このような極端に貧困な地域においてはとても有効な活動だと思いました。

仕事があるおかげで、ナズマさんはいま良い暮らしをしています。でも、悩みもあります。最近インドでは不動産の価格が高騰して土地に対する需要が増え、スラムからの立ち退きが増えています。スラムに暮らす権利を持っている人は、政府の補償金を受け取ったり政府が作ったアパートに入ることもできますが、スラムに住む権利を認められていない人は、ただスラムを出るしかありません。ナズマさんは権利を持たないため、おそらく来年には住む場所がなくなります。今の仕事もスラムがあるからこその仕事なので、来年スラムがなくなれば仕事も同時になくなってしまうのではないか心配でたまらない、と話してくれました。

ムンバイの光と影

揚げ物料理の手伝いをする子ども=ネルナガール・スラム(東サンタクルス地区)

スラムの中の暗さ、匂い、びちょびちょの道…。実際に訪れてみないとわからない、言葉では伝えきれないものです。私たちにとってもつらいものでしたが、毎日スラムで暮らしている人たちにとってはどれほどのつらさなのでしょう…。

インドを訪れ、子どもたちを苦しめているのは経済的な格差だけではないと感じました。女の子として生まれたか男の子として生まれたか、どこで生まれたか、どういう立場で生まれたか、信仰する宗教はなにか? それらによって、与えられるチャンスがぜんぜん違います。立場によっては雇ってもらうこともできません。1種類の仕事にしか就くことができず、どんなに働いても状況を改善することができないという人もいます。

ムンバイならチャンスが増えるのではないかと多くの人々は期待しますが、理想と現実の差はとても大きいのです。みな毎日、一生懸命働いていますが、どんなに働いても楽しみが得られない。そんな人々がたくさんいました。これが“URBAN POOR”の人々にとって一番つらいことなのかもしれません。

自分や子どもの価値を高めるには、教育が大切だと思います。教育によって、自分や子どもたちが仕事につける状況に変わっていくのではないかと思います。

インド政府も懸命に努力していますが、IT産業が発達し、国家計画があっても、それだけでは足りません。ユニセフやNGOも含め、計画を実行する力をつけていくことが必要です。そのために皆さんのご支援が必要です。そして、一番大切なのは“Commitment”、あきらめないことです。「こんな状況ではどうしようもない、とあきらめてはいけない」。そうNGOのスタッフに言われました。

私たちにできることはたくさんあると思います。一人でも多くの子どもたちが食べられるようにしたい、ひとりでも多くの子どもたちが学校に通えるようにしたい。私たちにもできることがたくさんあるはずです。これから私たちも、一生懸命支援していきたいと思います。

写真:© 日本ユニセフ協会/2007/K.Shindo

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