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財団法人日本ユニセフ協会

世界の子どもたち

「大きくなったら先生になりたい」—ナズ・ビビの夢がかなうころ
パキスタン・バロキスタン州の女子教育
<パキスタン>


11歳のナズ・ビビ 「大きくなったら先生になりたいわ」11歳のナズ・ビビはにっこり笑って言いました。ここはパキスタン、バロキスタン州のシビィ地区にあるマリアバッド村。ナズはこの村にあるコミュニティ・サポート・プロジェクト学校の2年生です。11人きょうだいの末っ子で、7人のお兄さんと3人のお姉さんがいます。

 「私のお父さんは部族の長なんです」ナズはブブカにあいた穴を隠そうとしながら、プライドをのぞかせて言います。「以前はこの丘にたくさんの土地をもっていました」「でも、問題に巻き込まれてアフガニスタンに引っ越さなければなりませんでした。私はその時、まだ生まれていませんでした」熱気の立ち込める中を指差しながら、彼女は言葉を続けました。

11歳のナズ・ビビ シビィの町から25キロ離れたところにあるマリアバッドは、砂漠地帯で旱魃が厳しく、夏場には気温が摂氏52℃にもなる、世界でも最も暑い場所のひとつです。ナズのお父さん、ジャラル・カーンは、このバロキスタン中心部に住むマリ族の一派の長です。黒いあごひげと情熱的な目、そして大きなターバン。どこから見ても、紛れもなくバルーチ族の男性です。ただひとつの点を除いては——。5年前、ジャラル・カーンは部族の女の子たちのために学校を開設したのです。

 バロキスタンは、州人口の84パーセント近くが農村部に住む、パキスタンで最も人口の少ない州です。地理的に遠く離れ、インフラと通信設備も不十分なために周りの地域から隔絶されて、バロキスタンの多くの地域には何百年も続く部族の習慣や風習が今も残ります。

 多くの部族では、若い女性や女の子に家族の名誉がかかっていると信じられています。男性は自分たちの評判を損ね、部族や家族の名を汚すような事態が起こることを避けるため、彼女たちを外の世界に触れさせないようにしています。その結果、女性の移動が制限されています。女の子に期待されるのは、子どもを生み、育て、家事に従事することだけです。親の多くは、男の子よりも不利な立場に置かれている女の子が教育を受けることの重要性を特に理解していません。

 男の子と女の子の教育を妨げる要因はほかにもあります。貧困や児童労働、通学の距離が長いこと、安全の問題、不適切なカリキュラム、不衛生であること、女の子用のトイレがないこと、そして水の供給が十分でないことなどです。バロキスタン州の男性の識字率が34パーセントなのに対して、女性の場合は14パーセントであるという事実に現れているとおりです。

 ですが、ジャラルは違いました。男の子にも女の子にも教育が重要であるということを理解していたのです。

 「私は20年間の月日をアフガニスタンで過ごしました。私の兄弟はロシアに行き、歯医者になりました。今日では、彼の子どもたちは私の子どもよりも恵まれた生活をしています」彼はあごひげをなでながら言います。「私自身は教育を受けていなかったので、妻といっしょに畑で作物の刈り入れの仕事をして日に100ルピー(1.5米ドル)のお金を稼ぎ、子どもたちを食べさせているのです。子どもたちを自分と同じように照りつく太陽の下で働かせたくはありません。女の子たちも学校の先生になってお金を稼ぐことができるのですから」

ナズとナジャマ先生 その「学校」はジャラルの所有する土地の一画に建てられ、泥で作った小さな部屋がひとつあるだけです。コミュニティの全員が集まってこの学校を建てました。そして一年もたたない内に、オーストラリア政府とユニセフが支援する、バロキスタンの女の子たちの就学率改善を目指すプロジェクトの一部となったのです。

 このプロジェクトは1999年にバロキスタン州の4地区、シビィ、カラート、ピシン、クズダールで始まりました。30,000人の女の子を初等学校に入学させ、なおかつやめさせないことが目標です。歩いて通える距離に学校がないところでは、プロジェクトが支援してコミュニティ・サポート・プロセス(CSP)を通じ、80校の学校を設立しました。ジャラルの学校はそのうちのひとつです。

 ナズ・ビビの学校の20歳になる先生、ナジャマが学校を案内してくれました。泥でできた小屋の外の一画が教室として使われています。太陽の日差しをさえぎろうと、女の子たちがビニールの袋を縫い合わせて一時しのぎの屋根をこしらえていますが、毎日のように風に吹き飛ばされてしまい、同じことを何度も繰り返さなければなりません。

学校で授業を受ける子どもたち 教室のスペースは、5つのクラスが仲良く分けあっています。ですが、初等クラスは教室のスペースの中に入りきらず、ぼろぼろの葦のマットを引いて、教室の外の日の当たらない壁際の場所を使っています。黒板は枝で作ったイーゼルのような台に乗せてあります。厳しい気候と貧困の中にもかかわらず、教育が受けられるようになったことや、勉強を通じて生活がどれほど変わったかを語るとき、女の子たちの顔には笑顔が浮かびます。

 「学校が始まったころ、女の子たちは一緒に座るのを嫌がって、いつもけんかをしていました」とナジャマは言います。「今では年上の女の子が年下の女の子に、どんなカーストに属していても、学校ではみんな平等なのだと言うことを教えているんです」

 ナジャマがジャラルの学校が始まった経緯を説明してくれました。「コミュニティの助けを得て学校を建設した後、ジャラルはその学校を運営してくれる先生を必要としていました。そして私を訪ねてきたのです。私は大学入学試験を終えた後で、何もすることもなく家で過ごしていたのでその申し出を受けました。最初は何もない状態から授業を始めましたが、一年の間にユニセフとAUSAID(オーストラリア国際開発庁)の支援を受けてバロキスタン州政府が始めた教育開発プログラムに参加しないか?と言われたのです」

 その後まもなく、女の子たちは教科書と黒板を手に入れました。ナジャマのお給料は、最初の2年間ユニセフが負担し、その後は州政府が払うようになりました。

 ジャラルと彼のチームは、村の教育委員会を立ち上げました。委員会は部族の年配者や子どもを持つ親から成り、村の人々に女の子たちを学校に行かせるよう働きかけるのです。ジャラルの奥さんはその委員会のリーダーです。

 委員会は基礎的な教材や学用品や安全な飲み水、ジュート製の手作りのフロアマットを供給したり、校舎のメンテナンスと清掃を請けおい、3年の間に学校に通う女の子の数は15人から154人に急速に増えました。

お母さん、ヌア・ビビといっしょに。 ジャラルは彼が自分で設置した水道の蛇口を見せてくれました。「女の子たちが学校で何を学んでいるのか、親が自分の目で見ることができるように、学校の近くに設置したんです。いまだに学校に来られない女の子たちも、水汲みを理由にして、時間のある限り授業に参加することができますしね」彼はにっこり笑って付け加えました。「上の娘たちが思いついたんですよ」

 委員会のメンバーの一人であるハジャラ・ビビは、ジャラルの学校に通うようになってから気づいた娘たちの変化について話してくれました。

 「娘たちは以前は友だちといっしょに一日中遊んで走り回っていました。私たちが農作業から戻ってくると、家の中はめちゃめちゃで、食事の準備もしていないし、お帰りなさいのひと言も言わなかったんです。今では私たちが朝起きると、娘たちは家の掃除をして、私たちに歯を磨いて、少なくとも2日に1回は水浴びをするようにと言うんです。私たちが農作業から帰ってくるのが見えると、水を持ってきてくれて、ほかにいるものはないかと聞くんです。とても思いやりのある子どもたちになりました」

 別の女性も、今では男の子よりも娘のほうがよく手伝ってくれるようになったと言います。「村の人たちがみんな薬の説明書を読んでくれるよう娘に頼みにくるんです。娘は英語ができますから。将来は立派なお医者さんになってくれるでしょう」彼女は胸を張って言います。

教室のひとこま。 わずか3年の内に30,000人の女の子が学校に就学し、きちんと先生のいる学校80校が設立されました。これら4地区では、平均86パーセントの子どもたちが学校をやめることなく通いつづけています。

 このプロジェクトでは、次の3年間、特に教師の研修、教育の質、教育環境の向上に重きを置いて地方議会の参加を促していく予定です。いつの日か、泥でできた小屋をしっかりした校舎に建て直し、塀を作り、女子と男子のトイレを別々にする計画もあります。子どもたちがただ学校にくるだけではなく、初等教育を修了できるようにするためです。

 教師になりたいという娘の夢を、ジャラルはとても誇りに思っています。妻は夢をかなえることができませんでした。「どんな運命だとしても、娘たちは食べ物に困ってひもじい思いをすることはないでしょう。教育という宝物を授けられたのですから」

 カーンだけではなく、マリアバッドのコミュニティ全体が、女の子たちに教育を受けさせることの重要性を認識しています。教育は、女の子たちの運命を変え、よりよい将来を切り開くためのカギなのです。

2004年7月31日
ユニセフ・パキスタン事務所

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