メニューをスキップ
HOME > 国際協力人材養成プログラム > 海外インターン体験記
財団法人日本ユニセフ協会

国際協力人材養成プログラム

海外インターン体験記

インターンからコンサルタントへ

氏名:石原 麻己
派遣先:ユニセフエチオピア・アディスアベバ事務所(ADPH部門)
派遣期間:2008年10月〜2009年1月

エチオピア、それは通常誰もが抱くアフリカのイメージとは一線を画した国です。アジアっぽいアフリカと言えば良いのでしょうか。国民は他アフリカ諸国の人々に比べると大変礼儀正しく控え目で、アフリカ特有の騒がしさや陽気とは無縁の国です。日本のように本音と建前が存在する国で、日本人としては大変この国の文化に溶け込みやすく、すぐにこちらの生活に慣れることができました。

しかし、文化的な側面は日本と類似する部分があっても、社会経済レベルでは似ても似つかない現状がここにはあります。

配属されたADPHセクション(Adolescent Development, Protection and HIV/AIDS) (青少年育成、子ども保護とHIV/エイズ) はセクション名からも分かるように大変広範囲に渡るプロジェクトを手掛けており、自らの専門分野領域に留まることなく多くの経験をさせて頂きました。

ADPHセクションでは、vulnerable children and youth (脆弱な立場におかれている子どもと青少年)の保護に焦点を置き、国家の社会保護システムを確立することを目的とするフレームワークの中で、キャパシティー・ディベロプメント、ライフスキル・トレーニング、参加の促進、そして虐待や搾取から子どもたちを守ることに重点を置いています。

インターンとして、担当官のアシスタント的存在として業務について学ぶというより、インターンシップ当初よりコンサルタント的な形で、スーパーバイザーの指導の下、様々なプロジェクトを任せてもらいました。右も左も分からず本当に苦労しましたが、皆に支えられ無事にインターンシップを終え、現在もコンサルタントとして引き続きエチオピア事務所で業務に就いています。

最大の任務は、Filial Play Coaching (遊びを通したコーチング指導)ワークショップの企画・開催でした。これは深刻な食糧不足が問題であるエチオピアにおいて、UNICEFエチオピア事務所の栄養セクションも問題解決にかなり注力している一方、栄養面でのサポートのみならず、子どものpsychosocial well-being (社会心理的な健康)を高めることで、身体的な発育も促すことができるという認識に基づき、パイロットプロジェクトとして始まったワークショップです。

参加者の保健士が作成した玩具で実際に乳児をあやしている様子

Psychosocial well-beingを高めるために、母親に子どもとどのように対話すれば良いのか、コミュニケーションを図れば良いのか、コーチングするためのコーチを育成するプロジェクトで、保健士とコミュニティーの青年と共に、身近にあるものでの玩具の作り方を考えたり、子どものあやし方等をトレーニングするというワークショップでした。

その他、ユース・インターンシップ・プログラムという、青年をインターンとしてエチオピア各地の政府機関に派遣し、社会経験を積む機会を与えるというプログラムのM&E(モニタリング評価)を担当しました。エチオピア内にはユース・センター(青年が活動するセンター・集会所)が何千とありますが、インターンは各地のユース・センターでユース・リーダーとして活躍している者が多く、彼らが政府機関でインターンとして一定期間仕事に従事することで、政府関係者もユースが地域でどのような活動をし、変革のエージェントとなっているのか、また彼らに特有のニーズは何であるかを把握することができ、青年自身のエンパワメントのみならず、政府関係者にとっても得るものの大きなプロジェクトとなっていることが分かりました。

またAfrican Youth Day (アフリカ青年の日) に参加する青年の選定を担当し、私自身も一緒になってアディスアベバの街を行進し、地域住民に対して青年の存在意義をアピールしたり、ユースの一体感を高めることができました。

その他、エチオピア事務所内のHIV/エイズに係るプロジェクトを手掛けている他セクションとの情報共有を図るHIV/エイズ調整グループの立ち上げに関わらせてもらったりと、インターンながらも責任のある仕事を任されて過ごした4ヶ月間でした。

今回のインターンシップの機会なくしては、現在のコンサルタントとしてのキャリアパスを図ることは難しかったものと思います。この足がかりとなったインターンシップの機会を与えてくださった日本ユニセフ協会の皆様に心から感謝しています。一人ひとりの幸福度の定義は異なりますし、相対的なものではありますが、一人でも多くの子どもたちの生活が改善され、より幸福になれるよう、今後も当面はエチオピア事務所にて尽力していく所存です。

 ▲ 先頭に戻る

子どもたちの笑顔を守るために

氏名:山崎 敦子
派遣先:ユニセフウガンダ・リラ事務所(子ども保護部門)
派遣期間:2008年5月〜12月

ウガンダは東アフリカの赤道直下に位置し、水と緑に恵まれた国です。赤道が通っているためとても暑いと思われがちですが、高原上にあるため年平均気温21〜23℃とおだやかな気候です。南部にあるビクトリア湖はアフリカ第一の大湖で、白ナイル川の源流があります。またマウンテンゴリラの故郷、良質なコーヒーを生産することで有名でもあります。ウガンダ北部では、反政府勢力である「神の抵抗軍」(LRA)の20年にも及ぶ反乱によって、弱い一般市民を標的とした攻撃が続き、襲撃や略奪、子どもの拉致被害などが横行しましたが、現在は隣国スーダン・ジュバでの和平交渉が継続されています。

青空の下、村ベースのトレーニング風景

私が配属されたリラ事務所は、首都カンパラから車で5時間程行った中北部に位置しています。上記に示した「神の抵抗軍」(LRA)は兵士の約90%が未成年で、彼らのほとんどが拉致され子ども兵として銃を持ち戦わなければなりませんでした。その数約20,000人以上と言われています。2006年に停戦になりましたが、長年に渡る紛争の痛手は深刻です。多くの子ども兵はリハビリセンターに短期間滞在し、簡単なセラピーなどを受けた後、自分の村に戻っていきますが、言えば加害者と被害者との共存生活になるのです。子ども兵は拉致され、目の前で人が殺されるのを見たり、自分が人を殺したりすることを経験しているため、心身共に深い傷を抱えています。本当は彼らこそ、この紛争の被害者と言ってよいはずですが、村人からすれば『自分達の親、兄弟、友達を殺した加害者』なのです。実の親でさえ戻ってきた子どもを怖れているケースもあります。 また兵士の子どもを身ごもった娘を『汚れたもの』として受け入れ拒否をする場合も多々。村の子どもたちも『子ども兵は悪いことをしたのに、サポートを受けて不公平』と、ユニセフやNGOの子ども兵対象の活動が村人の怒りに火つけてしまう事もありました。

このような結果を踏まえて、ウガンダ政府とLRA間での和平交渉が進む中、近年ユニセフ・リラ事務所はNGOパートナーと協力して新しいアプローチ法を試みています。それは「子ども兵」を対象にサポートを行うのではなく、村に戻ってきた子ども兵、また受け入れる側の村人や子どもたちが、「みんなが紛争の被害者」であることを認識し、共に傷を分ち合い癒し合い、許す事を学び、共に生活出来るよう、村全体にトレーニングを行うことです。私は約7ヶ月間子ども保護担当官のアシスタントとして紛争後の子どもが守られる環境作りを目指し、リラ事務所が担当する5県で子ども保護システム(Child Protection System)と安全な学校づくり(Safe School Approach)の試行を担当しました。上司に習いながら、これらの村レベルでの普及のため、NGOパートナーとの意見交換会議、村や学校の現地視察、行政レベル・コミュニティーレベルでの説明・トレーニングに努めました。また5県の地方政府に協力を求めるため、担当役人との交渉・対談を繰り返すことによって子ども保護システム(Child Protection System)の予想出来る効果を理解していただき、全ての子どもが安心して生活が出来るようサポートしました。リラ事務所は小さく、子ども保護担当スタッフは2名なので、5県に同等のサポートと結果を出せるようにするため、毎日フィールドへ出ていました。リラから一番遠い県で2時間以上かかります。前日に雨が降ろうものなら、道路が封鎖されたり、タイヤが沼にはまったり、パンクしたりで倍の時間がかかる事もしばしばありました。朝フィールドへ出かけ事務所へ戻って来るのは終業時間ギリギリの5時半で、その間何も口にすることがない、ということもしょっちゅう。10月からは年間報告準備のため週末もない状況で体力的に大変な仕事でしたが、目に見えて変化や結果が出たり、行政・コミュニティーレベルでの信頼関係も築け、この仕事のやりがいをフルに感じることが出来た7ヶ月間でした。

私生活を少しお話すると、7ヶ月の間に2度マラリアにかかりました。ウガンダ(特に私がいた地域)では、マラリアはHIV/AIDSに勝る死亡率。更に、私がいる間に何度もマラリアが大流行したこともあり、事務所でもほぼ全員が感染した時期もあります。マラリア原虫を持つ蚊は日が沈む18時半頃から翌朝7時頃までが活発な活動時間と言われています。暗い所と体温を好むようです。リラでは週に3〜4日電気が通らないのは普通なので、電気がない日は蚊から身を守るために蚊帳に入る。するといつの間にか眠ってしまう。そんな生活なので生活習慣は断然よくなった気がします。遅くまで仕事をした日は、Boda Bodaと呼ばれる自転車タクシーで帰ります。その間、運転手と交わす会話がいつも楽しみでした。英語は通じなくても、知っている現地語を並べただけで、会話が成り立ってしまうから不思議です。リラの人たちは基本的にとても人懐っこくて友好的。 歩いているとどこからともなく「白人」を意味する語『モノーォ!!!』と声を掛けられ、子どもたちが駆け寄って来て手を繋いできます。本当にキラキラとした笑顔で。誰かが「戦争を経験した人は強い。今まであったものが何も無くなったとしても、いかに良く生きるかを考える、落ちないと見えない生命の真実があるから」と言ったのを覚えています。私はこの子たちの張りのある声と大きな笑顔を見る度に思いました。紛争が再発して、この子たちから笑顔を奪うような事が二度とあってはいけない。彼らが守られた環境で教育を受け、成長し、自分達の国ウガンダをこの笑顔で支えていくことができますように、と。そのためにユニセフ・リラ事務所は日々活動しています。このような貴重な機会を与えてくださった日本ユニセフ協会の皆様に心より感謝いたします。これからはウガンダ・リラ事務所での経験を活かし、国内外でユニセフ活動に貢献していきたいと思っています。本当にありがとうございました。

 ▲ 先頭に戻る

フィリピンで子ども保護に取り組む

氏名:栗原 真由花
派遣先:フィリピンマニラ事務所(Child Participation)
派遣期間:2008年7月〜12月

7月よりユニセフのフィリピンマニラ事務所の特別な保護を必要とする子どもに対する支援(Children in Need of Special Protection)を行う「子どもの保護部門(Child Protection)」に配属となりました。Child Protection Sectionは、1)虐待、搾取とトラフィッキング(人身取引)により被害を受けた子どもたちに対する支援、2)紛争により被害を受けた子どもたちに対する再調和と回復支援、3)子どもに対する法的支援と裁判システム、そして4)子どもの保護に対するネットワークとシステム(ストリートチルドレンに対する支援を含む)の四つの専門分野に分かれています。その中でも、虐待、搾取そしてトラフィッキングによる被害を受けた子どもたちの支援を行っている分野にて、トラフィッキングや児童ポルノの専門家でもあるサギサグ弁護士の元で指導を受けながら仕事を行いました。業務内容も幅広く地元のNGOの事務所に派遣され一日業務を手伝ったり、イタリア政府から調査団が来比した際には、調整を手伝ったり、フィールド視察の一環としてパサイ市とケソン市にある少年院を訪問したり、性的虐待を受けた少女達のシェルターを訪問したりと様々な機会を与えていただきました。少年院を訪問した際には、収容されている子どもたちの置かれている状況が地区の財政状況によって全く異なるということ、地域の理解が得られずクリスマスにちょっとしたパーティーを行うにも援助が受けにくいということ、男女同じ施設内に収容されていること、成人用刑務所の目の前に設置されていることなどの問題に驚かされました。

また、2週間弱という短期間ではありますが同時期に、Social Policy and Local Development部門でアグカオイリ弁護士の下で国際会議やそれに伴う作業の手伝いをする機会も与えていただきました。ユニセフは、非常に大きな組織であり、各部門の専門性が高いものの他部門と共同で業務を行う機会が限られています。そういった中で、他部門の活動そして業務内容を見ることができ、ユニセフ全体の理解に非常に役立ちました。多くの業務を行った中でも特に印象に残っているのは、カマリネスノルテ州にあるダエトにて3日間の研修に参加した際に、サギサグ弁護士の代理で約70名の警察官の前で「人身取引された子どもたちの保護に関するフィリピンガイドライン」の“講義”を行ったことです。フィリピンの現状についても法律についても無知な私が行った“講義”は散々な結果となりましたが、大きな機会を与えてくれた上司には非常に感謝しています。フィリピンでの仕事は、想像していた以上に困難なことも多く、また基本的に研修、ワークショップ、会議もタガログ語で行われるため理解できないことが多々ありました。日本から4時間弱であり、互いにアジアに属する国でありながら、あまりにも異なるため生活に慣れるのに時間がかかり、慣れてきて様々なことが分かってきた時に帰国となりました。そういったことからも心残りは山ほどありますが、その“心残り”な部分を今後もこういった分野で働き続け少しずつ消していけたらと思います。

最後になりましたが、このような素晴らしい機会を与えてくださった日本ユニセフ協会の皆様そしてマニラ事務所の皆様に心より御礼申し上げます。

 ▲ 先頭に戻る

<< 海外体験記一覧へ戻る

|トップページへ先頭に戻る