氏名:國井 修
所属・役職:ユニセフ・ソマリア事務所 保健・栄養・水衛生事業部長
派遣先:宮城県 (3月18日〜5月22日)
担当職務:日本ユニセフ協会緊急支援本部宮城フィールドマネージャーとして宮城県内の支援活動を統括。また宮城県知事からの委嘱により災害保健医療アドバイザーとして、避難所や救護所などでの保健衛生・栄養の改善、被災した市町における母子保健事業再開に関する助言・指導など保健福祉行政をサポート
初めて被災地の現場に足を踏み入れた時、声を失い、涙が溢れ、全身から力が抜け落ちました。これまでスマトラ島沖地震・津波、ミャンマーサイクロン、バングラデシュ大洪水などの大水害の惨状も見てきましたが、まさかそれを上回る凄惨な光景をわが母国日本で目の当たりにするとは・・・。
約2ヵ月間の支援活動で、時には自分で車を運転しながら、宮城県の被災地を北は気仙沼市から南は山元町まで、延べ2000km以上走りました。このような緊急事態の支援活動に必要なのは「正確な情報」。被災地のどんな場所でどんな時にどのような支援を必要としているのか、自らの目で確かめ、生の声を聞いてくる必要があります。
私は村井知事からの委嘱で宮城県災害保健医療アドバイザーにもなりましたが、これは被災地の全体像を把握し、ニーズを分析し、被災地ごとに必要な助言および物的支援をする上でとても役立ちました。支援のほとんどは避難所に向けられていましたが、実はその災害対策の要となる市・町、さらにその支所、保健所なども壊滅的な被害を受け、この機能復旧への支援はなおざりにされていたのが現状です。
たとえば、市や町の保健師や栄養士が避難所の母子の健康状態、栄養状態を把握したくても、車が流されて現場にいけない、通信手段がなく県に報告ができない、乳幼児健診や予防接種を再開したくとも、乳幼児の体重計・身長計、ワクチン保冷庫などが流されてしまっている、などの現実がありました。さらに被災した市町の職員、保健師・栄養士も被災者でありながら、震災当日から不眠不休の支援活動に従事し、彼らの健康管理、心のケアは誰からもなされていませんでした。
これらに対し、市町、支所、保健所、児童相談所などの悩みを聞き、必要な物資、例えば車、コンピューター、通信機器、ワクチン保冷庫などを調達・寄贈し、母子保健事業などの再開に必要なアドバイスをし、現場の声を県や国につないでく、というのが私の役目でした。特に、石巻市は被災地の中で最大の人口を抱え、支援活動も困難であったことから、仙台市から毎日のように通い、市役所や避難所などを廻りながら、県と市、官と民の支援活動をつなげようと努めました。また、石巻市の災害復興計画には有識者として加えて頂き、次のような提言をしました。
「石巻市の復興、街づくりには夢作り、人作り、絆作りの3つが重要」
「夢作り」:災いを転じて福となすため、Build Back Betterすなわち災害前よりもよりよい街づくり、復旧でなく復興を目指すべきです。そのためには、みんなで夢を描き、それを具体化し、その実現のための戦略を練ること。子どもが楽しく学び遊べる街。若い人が生き生きと仕事をしたくなる街。女性が子どもを産み、育てたくなるような街。高齢者が安心して楽に過ごせる街。そんな街をみんなで夢見て、それを具体的な戦略に落としていく、復興計画に組み入れていくことが重要です。特に次世代を担う子ども・若者の声を反映していくこと。少子高齢化の東北地方は日本の将来の縮図でもある。被災地の新たな街づくりは、日本の未来のモデルにもなります。
「人作り」:街づくりをするのも人。その街で過ごしていくのも人。特に地元の若い世代を育てていくことが重要。世界中から支援の要請が来ている今、これを地元で被災した若い世代を育てるいい機会にもできます。国外への留学、国内での職業訓練など、様々な機会を与えることができます。また、この未曾有の大災害、さらにその支援、復旧・復興活動は、被災地以外の人作りにも貢献しています。災害に強い街づくり、困難に強い人作り、助け合い、分かち合いの気持ちをもつ人間作り。そのような機会として、復興活動に日本全体が取り組むことが必要です。
「絆作り」:今回の大震災は被災地のみならず、日本全体に家族の絆、友人との絆、地域の絆の大切さを知らしめました。街づくりにはこの絆づくりが重要であり、それは避難所、さらに仮設住宅の中での助け合い、つながり合いからはじまります。これは自然発生するものもあれば、行政や民間、住民が「仕掛け」ないと促進されないこともあります。孤独死が多かった阪神大震災の教訓を活かして、仮設住宅や被災地域には特にコミュニティーの再建、助け合い、つながり合いの促進をすべき。現在検討中のサポートセンターをいかに機能させるかが鍵。特に、高齢者とお母さんと子どもが世代を越えて交わり、住民が主体、または参加しながら、支援しあえるようなコミュニティーをいかに作るか。ハードだけでなく、ソフト面を住民参加で議論する必要があります。
私は日本でのこのような支援活動を終えて、現在、ソマリア支援のためアフリカに戻っています。ソマリアにも、状況は異なりますが、紛争で傷つき、栄養不良で倒れ、感染症に苦しむ人々など、助けを必要としている人がたくさんいます。
一刻も早い日本の被災地の復興を祈りながら、東日本大震災で失なわれ行方不明になった人々と同じ数、2万人以上の子どもたちの命が世界で毎日失われている現実も忘れないで欲しいと思っています。
最後に、ご支援、ご協力頂いた皆様へ、この場を借りて心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
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