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財団法人日本ユニセフ協会




ミャンマー サイクロン被害第22報
ユニセフ・ミャンマー活動報告会開催!
「サイクロンで被災した子どもたち」
〜日本人保健・栄養チーフによる90日間の活動報告〜

國井 修 氏
■日時: 2008年8月7日(木)

■場所: 東京・港区 高輪ユニセフハウス

■主催: (財)日本ユニセフ協会

■報告: 國井 修 氏
      ユニセフ・ミャンマー事務所 保健・栄養事業部長

【2008年8月7日】

3ヶ月あまり前、ミャンマー各地に甚大な被害をもたらしたサイクロン「ナルギス」。災害発生直後から現地で緊急支援活動の陣頭指揮にあたってきたユニセフ ミャンマー事務所の保健・栄養事業部長國井修氏がこのたび一時帰国。8月7日(木)、立席が出るほどの聴衆で埋まった東京・高輪のユニセフホールで、未だ深い傷跡の残る現地の最新状況を報告しました。

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予想を超えた規模

「私たちは、(5月)1日の時点で、サイクロンがミャンマーを襲うとの情報を得、予防対策を協議し、サイクロン被害に備えていました。しかし、こんなに大きなサイクロンが来るとは誰も予想していませんでした。

私はサイクロン「ナルギス」が襲ってきたとき、ヤンゴン市内の自宅にいました。ヤンゴンでは、夜の10時くらいから次第に雨風が強くなってきました。夜中の12時には、かなりの強い雨風になり、私の住んでいるアパートは、丈夫なコンクリートでできていますが、窓ガラスがたわわに揺れ、屋根が飛んでいる音が聞こえました。夜中の2時、3時以降には、あまりにも激しい雨と風で屋根が飛んだり、どこかにぶつかっているという音も聞こえなくなりました。窓もドアもしまっているのに、横から雨がどんどん部屋に入ってきて、天井も落ちてきました。やっと雨と風が治まってきた翌日午前10時ごろに、外へでてみると、木が将棋倒しのように倒れ、建物も全半壊の状態でした。

困難を極めた支援活動

写真:國井 修 氏

ユニセフとしては、ある程度の災害がおこったら、すぐに支援活動ができるように準備を整えていますので、すぐに支援を開始できると思っていたのですが、当日(3日)ユニセフのオフィスへ到着できたスタッフは、事務所のすぐ近くに住んでいた私とあともう一人だけでした。すぐに対策をしなければならないのに、スタッフが来られない。130人あまりいるスタッフ全員に、連絡もしてみましたが、衛星電話を使用しても、連絡がついたのは、わずか2人でした。

サイクロンが治まってからは、まず出来る限り現場を見に行きました。発生当初は、500人から1,000人ぐらいの死亡者を推定していましたが、現在、死者は推定14万人以上、被災者は推定240万人と推定されています。しかし、この数は、定かではありません。完全に村がなくなってしまった地域も数多くあり、正確な数字はいまだ分からないのです。

徐々に集まってきたスタッフとともに、始めは、食糧などの支援物資を積んで、特に安全な水へのアクセスの状態を調査し、そのまま水源をきれいにしたり、汚染された水を飲まないように浄水剤を配ったりしました。

ユニセフがすぐに活動をはじめられた最大の理由は、ミャンマー各地に14箇所ある備蓄倉庫があるためです。10万人くらいの人々に、すぐに支援が出来るという体制ができていたので、第一週目はその備品を他団体とも協力して、配布して対応しました。

普段でも、5時間も6時間もかかるようなところは、現在で10時間、当初は20時間近くかけて、悪路を行かなくてはなりませんでした。しかし、その場所へのアクセスは、現地人にかぎられ、現地人以外は許可が必要な場合も多くありました。現地のスタッフから話を聞いたり、写真でみたりすると、すごい状況が明らかになりました。遺体がその辺に散らばっているような写真、妊婦が亡くなっている写真、子どもが5人くらい折り重なるように重なって亡くなっているような写真もありました。最初は、何がおこったのかよく分かりませんでした。何でこんなに人が亡くなってしまったのか。何という災害なのか。

水害で負った火傷のような傷

今回のサイクロンは、強い風が南から吹き、次は東南からと、様々な方角から10時間とぐろを巻いて留まっていたような状態でした。

写真:國井 修 氏

現地の人の話では、ヤンゴンでは午後10時くらいから暴風雨になりましたが、最大の被災地のひとつ、イワラジ地帯では、午後4時くらいから雨風が強くなったそうです。非常に強い風で、記録では200キロの速さで雨風が吹き荒れ、それによって、家も全部ふきとばされ、村自体がなくなった地域がいくつもありました。

被害のすごさを物語る一例として、水害であるのに火傷のような傷を、背中の広い範囲に負っている人がいたということです。これはおそらく世界で初めてのことだと思います。

しかもこのやけどのような症状は軽いものではありませんでした。これは、家を吹き飛ばされた人々が、激しい雨と暴雨の中10時間あまりに渡り木にしがみつき、なんとか一命を取り留めた状況が、まるで背中を10時間鞭でたたきつけられているような状態であったためと考えられます。雨と風は、それほど激しいものだったのです。また、海水の塩によって、やけどのようなひどい症状になったのではないかと予測しています。

子どもを失った悲しみ

もごもごいって歩き回っている女性がいました。その中には、2人の子どもを亡くした女性がいました。10時間にも及んだ今回のサイクロンの暴雨。彼女は、子ども二人を腕に抱いて、水に流されないよう必死に木にしがみついていましたが、途中で力が尽き、どちらか一人の子どもの手を離さなくては3人とも流されてしまうと思いました。生き残る可能性を考えて、乳飲み子の下の子の方が生き残る可能性が低いと考えて、手を離したそうです。結局子どもたちは、二人とも亡くなってしまいました。このお母さんは、自分のしたことの自責の念に悩み続けています。

いまだ支援を待つ10万人を超える被災者

ユニセフが配布した支援物資には、ファミリーキット、高たんぱくビスケット、ジェリー缶、水浄化剤、テントなど様々なものありますが、数千配っても全然足りません。 始めの1カ月〜2カ月の間は、どのくらいの人が被災しているのか誰もわかりませんでした。 徐々に状況が明らかになっている現在でも、つい2週間前に、ボカレという町の南部に、まだ援助が届いていない人が、約10万人いることがわかりました。

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被災から3ヶ月。この間、ユニセフをはじめとする人道支援機関は、懸命の努力を続けてきました。しかしながら、國井氏が伝えるように、現地では、復興どころか、未だに初期的な支援も十分に行き届いていない地域が存在します。また、國井氏は、報告会の最後に、次のことも伝えています。

「アジアの最貧国の一つ、ミャンマー。子どもたちが深刻な状態におかれているのは、実はサイクロンの被災地だけに留まりません。例えばバングラデシュとの国境地帯に住む少数民族の子どもたちの栄養状態は、長年にわたり改善が見られていませんが、世界的な食糧の高騰などが続く中、ここにきて非常に深刻な状況になってきています。 」

ミャンマーの子どもたちのために、引き続き、みなさまの温かいご支援、ご協力をよろしくお願いします。

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