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日本ユニセフ協会
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「シリア紛争から逃れて」 前編
苦難の旅の途中で命を落とした兄
今も悲しみを抱える家族

【2017年3月17日  ミスラタ(リビア)発】

2011年3月に始まった紛争が、今なお続いているシリア。長引く紛争のため、多くの人が安全な暮らしを求めて国内や他国への避難を決意しています。命を懸けた旅のなかで、目的地へたどり着くまでに、大切な家族の命を奪われることも少なくありません。今も悲しみを抱え、難民として他国で暮らす、シリアの家族の物語です。

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言葉を失った女の子

シリア難民のシャムちゃん(10歳)

© UNICEF/UN053158/Romenz

シリア難民のシャムちゃん(10歳)

シリア難民のシャムちゃん(10歳)は、こげ茶色の大きな瞳と、恥ずかしそうに笑う笑顔が印象的な女の子です。リビアのミスラタ郊外で、両親と弟のバラルくん(5歳)と一緒に暮らしています。

シャムちゃんは、ほとんど話をしません。地中海を渡るために家族で乗っていた船が途中で沈み、兄のタラルくんを亡くして以来、シャムちゃんはほとんど言葉を発しなくなりました。シャムちゃんの父親は「私たちがどこへ行こうと、死がついてまわるのです」と語ります。

2014年、シャムちゃんの家族は、紛争から逃れるため、シリアのダマスカスを離れました。「シリア国内で安全に暮らせる場所を探しましたが、そんな場所はどこにもありませんでした。だから、ヨーロッパに行こうと思ったのです」と父親のマフムードさんは話します。

マフムードさんは、ダマスカスで大工として働いていました。貧しくても、尊厳のある生活でした。「お金がないので、選択肢はありません。一番安価な方法で、家族5人全員でシリアから逃げるだけです」

シャムちゃんの叔父さんが、リビア東部のベンガジに住んでいたことがあったので、地中海を渡る手助けをする人たちを知っていました。「それが密航業者だったのです。彼らは、船と救命胴衣を用意し、私たちを安全にヨーロッパまで運んでくれると約束しました」

言ってあげられなかった言葉

シリア難民のマフムードさん(44歳)。大工として働いている。

© UNICEF/UN053158/Romenz

シリア難民のマフムードさん(44歳)。大工として働いている。

父親のマフムードさんは、3人の子どもたちに、こう言ってあげたかったのです。「好きなだけ勉強しなさい。きみたちが夢を実現するために応援することを約束する」。けれども、それは叶いませんでした。

今は、リビアのミスラタの工事現場で、大工の仕事を続けています。給料は月に700ディナールで、公式な通貨換算レートであれば約500米ドルになりますが、今日、ディナールの価値は下がり続けています。闇市場では、700ディナールは約100米ドルにしかなりません。

マフムードさんは、毎朝、夜明け前の暗い中で家を出て、何キロも歩いて仕事に向かいます。数か月間働いて車を手に入れましたが、壊れてしまい、修理をするお金もありません。

「時々、生きていくより死んだ方がましだと思うことがあります」と、家の玄関の前で、椅子に腰かけたマフムードさんが語ります。家には、例年になく寒いリビアの冬を乗り越えるためのヒーターもありません。たった一つの部屋とトイレ、床に置かれた台所用品があるだけです。

悲しみが刻み込まれた顔

シリア難民のファウジアさん(39歳)。

©UNICEF/UN053154/Romenzi

シリア難民のファウジアさん(39歳)。

シャムちゃんの母親、ファウジアさん(39歳)は、全身に痛みを抱えているような仕草をみせながら、ゆっくりと身体を動かします。顔には、多くの悲しみが刻み込まれ、実際の年齢よりも老いてみえます。この2年間、家族が抱えてきた苦しみについては、言葉にすることも避けてきました。その苦しみを語ること、ましてそれを乗り越えるなんて、不可能に近かったのです。

「リビアに到着したとき、これがイタリアに行くための最終通過点であってほしいと、心から強く願いました」とファウジアさんは振り返ります。けれども、家族はそこで待機することを強いられました。密航業者たちによって、海のそばのコンクリート製の建物に、15日間、閉じ込められたのです」

「天気の回復を待っているのだと言われましたが、外の天気は良く、部屋にはどんどん人が増えていきます。何日か待つうち、密航業者が、できるだけたくさんの人を集めて船に乗せ、より多くのお金を稼ごうとしているのだと分かってきました」

部屋に閉じ込められている間、食事も水もほとんど提供されませんでした。窓の鉄格子の間から、腐りかけたチーズやパンを手渡されただけです。ファウジアさんは、息が詰まるような空間に閉じ込められた人たちが、少ない食べ物を巡って争っていたことを覚えています。

「食べものがなくて、3人の子どもたちに食べさせてあげられませんでした。子どもたちは何度も私に聞くのです『僕たちはなぜここにいるの?』と」(ファウジアさん)

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